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来し方(2)

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1939(昭和14)年5月20日に台湾神社で両親の結婚式が行われた。

佐賀県から父方の祖父母 慶太郎、オツも出席した(前列左)。
媒酌人は公学校長 松田常己、サト夫妻であった(新郎新婦の両側)。
母方の祖父が居なかったので、淡水街長の中原 薫氏に務めて貰った(前列右から2人目)。
当時、祖母の末弟 山本忠治夫妻(後列、神主の左)も、海水浴場「和樂園」の浅野タツ(同右)と共に出席している。
祖母のもう一人の弟 山本 保氏も淡水公学校の裏に住んでいたが、この写真に写っていないところを見ると、このあとで渡台したのであろう。
実質的に二人の仲を取り持った小栗常寿氏(後列右端)も同席してくれた。

このときに淡水神社で挙式したかったに違いないが、淡水神社の竣工、鎮座式は同年3月11日で僅かの差で実現出来なかったことと思う。

このときの新居は新店街の黒川さんの二階を借りていたのかと思ったが、マキ子さん(上の写真で祖母と街長の間)に聞いたところでは、公会堂から近いところにあった淡水小学校や女子公学校の近くにあった教員用宿舎に入っていたそうだ。

その後、新店街の黒川さんのところに移転したらしい。

私の戸籍簿によると
「昭和拾五年弐月拾日、臺湾臺北州淡水郡淡水街淡水 字新店 参拾七番地で出生
 父 廣川研一届出 同月弐拾日受附 入籍」
とある。


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2013年03月13日 13:54に投稿されたエントリーのページです。

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