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癸巳淡水紀行(7)

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孫秀さんが、周明徳さんのところへ連れて行ってくれるというのでその間、誘われるままに呉さんの部屋に寄せて貰った。

呉さんは古い写真や、資料をいろいろ持ってきていて、見せてくれた。
それを見せて貰っていると、ホテルを出てコンビニで、ケース入りの缶ビールやつまみを持ってきて呉れた。

今まで何度か、呉さんとは話したことがあるが、これほどゆっくり話したことはなかった。
呉さんの長崎時代の話は、私が何度か長期出張したことのある街なので話が弾んだ。

しかし、すぐ出られるように準備をして待ち構えているのに、2時が3時になっても、4時になっても5時になっても孫さんから連絡はなかった。

午後6時過ぎに呉さんのメールに電話があった。
「2時からずっとロビーで待っていた。」という。
フロントに訊くと「外出している」と言うのでロビーで待っていたらしい。
フロントがルームキーを見れば、部屋にいることは判るはずなのに・・・

稲垣さんたちが向かいのレストランで待っていると言われて一緒に行った。

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稲垣(施)裕行さんとそのご両親などと再会した。
我々も孫さんと一緒に案内して貰うはずだった李邦孚と一緒に大きなテーブルを囲んだ。
そのあと2年前に明石で会った妹の華子さんも子供さんを連れてきた。

ここでも昨日と同様、20人近い大宴会となった。

李さんが周明徳さんの著書を2冊、見せてくれた。漢語版であった。

稲垣さんとは席が隣だったのでしっかりお話しすることができた。

孫さんも、よく色々なことを話してくれた。矍鑠としたものである。

宿舎の福格飯店のむかいだったのでホテルに帰ってからも呉さんの部屋で二次会をやっていたそうである。
本当に稲垣さんと呉さんは強い。

第二日目は、区公所からの贈呈品を日本に郵送し、周明徳さんと携帯電話でお話しが出来、稲垣ファミリーや孫さん、呉さんたちと会食をした。
今回はフロントの間違いで周明徳さんにお目に掛かることは出来なかったが、皆さんのご尽力で来年にはこの夢も叶えることが出来そうである。


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2013年12月03日 13:14に投稿されたエントリーのページです。

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