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癸巳淡水紀行(11)

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戦前、新店街と言っていた中正路を馬偕博士の頭像のあるロータリーまで歩く。
当時、そこを小公園とか三角公園とか言っていた。
そこに至るこの辺りは淡水の老街と呼ばれているが、すっきり整備され過ぎて老街らしくない。
確かに路側にバイクが所狭しと並んではいるが以前の老街はこんなものではなかった。

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これは1995年に引き揚げて初めて帰ったときの写真である。
路上の雑踏の中央に老婆が坐って野菜を幾つか束にしたものを売っていた。

この通りに直交する狭い路にも店があり、その中をプロパンガスのボンベを幾つか載せたバイクが進んでいたのには驚いたものである。

戦前、黒川さんという人が新店街で塩屋を商っており、その2階を借りて住んでいたことがある。

父の描き残しておいてくれた略地図でも、私の朧気な記憶でも小公園からほど近く、河を背にしていたと思う。

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この街路図は1936年当時の淡水街であるが、多田商店に隣接して黒川義夫(酒類大蔵)の文字が見える。塩も酒も煙草も専売であったから商っていた。
多田商店と言うのは、曽城という番頭さんの居た大きな文房具店であった。

ところが下の写真は場所も向きも違うようである。

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この写真の右の店には、横楕円の看板が幾つか掲げてあるが、右の2つは「塩」、「煙草」と読める。
黒川さんのほかに当時、塩屋はなく間違いないと思う。
この店は隣接する建物と共に現存している。

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これが最近送られてきたものであるが隣、先隣の2階の柱を見ても明らかである。
この写真の向かい側に緑色で「淡水信用合作社」とあるのは区公所に隣接する信用組合であるから、塩屋の黒川さんは反対側である。

1936年の街路図とは位置も向きも違う。
おそらく、私たち一家が龍目井に引っ越し、その後三芝に転勤したのでその後、黒川さんの店が移転したのであろう。

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歩いていると福佑宮の前に来た。
今日は日曜日だからであろうか、怪しげな見世物が出て人が集まっていた。

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また馬偕博士の頭像のあるロータリーに来た。

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奇麗に外装されたレストラン横の路地を入ると長老派教会の尖塔が見える。

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馬偕頭像の正面あたりからロータリー越しに木下静涯画伯跡を見上げたところである。

嘗てこの辺り、立っている近くに安武先生の住居があり、その裏庭続きに住んでいた。

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この写真は2010年9月に帰ったときに、孫秀さんに住んでいたところを教えて貰ったときのものである。
孫さんの話では「亨利屋家族(ヘンリー・ペットショップ)」と書いた青い看板を掲げた家のあるところだったという。
その建物は建て替わっていた。
写真の左隅に「陶笛」の文字が見える。

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そのとき撮った是誠陶笛店である。
その横の路地を抜けると淡水河岸である。

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当日は日曜日だったので店を開けていた。

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店員さんが曲を吹いていたがさすがに上手い。
尾道にも来たことのあるホフマン氏のラバーダックが最近、台湾に来たらしく、大きなダックのオカリナも置いてあった。

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様々なデザインがあるようで、弦楽器のオカリナもショウウィンドウに並べてあった。

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2013年12月11日 16:54に投稿されたエントリーのページです。

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