2005年02月06日

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蒼空を往くクルーザーの伝説


今日は自宅で締め切りの迫った仕事を片付けていた。

朝から頑張ったせいか、夕刻に何とか目途がついた。

そして、気晴らしに蔵書や資料をめくっていると面白いデータが見つかった。

「蒼空を往くクルーザーの伝説」関連である。

北ドイツロイドの「ブレーメン」「オイローパ」が水上機を搭載していたことは有名である。
煙突の間に装備されたハインケル社製のカタパルトから水上機を打ち出し、郵便物を一足先に届けていた。

この詳細が判った。
「ブレーメン」に装備されたカタパルトはK2型であり、翌年完成した「オイローパ」のそれはK3型であった。
最初「ブレーメン」搭載機はフロート付きのハインケル12型、機体の登録記番号はD1717で、
処女航海の西航ではルフトハンザの機長の名前も判明した。
「オイローパ」の搭載機はハインケル58型で機体の登録記番号はD1919であったが、
1932年夏、大型のユンカース46型が2機完成し、「ブレーメン」搭載機には「ブレーメン(D2271)」
「オイローパ」搭載機には「オイローパ(D2244)」と命名された。
郵便物と一緒に6名までの乗客も搭乗できる単発水上機の機体は真紅に塗られていたと言う。

1933年から35年にかけては年に34〜36回、ほぼ毎航フライトが実施されていたのである。

この次のステップとしてルフトハンザは大西洋をドルニエの飛行艇で結ぶ計画を立てるのである。

これで、川西の大型飛行艇が内地と台湾・南洋諸島を結ぶところまでつながる。

余談ながら、名著「奇蹟の飛行艇」のなかで著者北出大太氏はこれら民間の飛行艇操縦者の教育指導にも当たっていたという話である。

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明日の午後は雨を覚悟しておかなくてはなるまい。

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