2005年04月11日

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飛行艇による渡洋定期便

航空機で初めて旅客と対象とする定期航路に用いられたのは飛行艇であったことは「蒼空を往くクルーザーの伝説」の1章2節で述べた通りである。

北大西洋を初めて飛んだ旅客機を調べていると、戦前に欧米を結んだのはパンアメリカンのB314大型飛行艇のみである。
ニューヨークからサザンプトンまで、途中バーミューダとリスボンで給油している。
戦後になるとダグラスのDC−4やロッキードのコンステレーションなどで大西洋を横断しているが1954年のスパーコンステレーションが途中無着陸で飛ぶまでは途中2箇所程度で給油するのが当たり前であった。

我が国では1938年に大日本航空が発足し、川西大艇により39年に開設した横浜・サイパン・パラオ線を41年にポルトガル領チモールまで延長し同年11月に定期第一便が飛んだが、その2週間後に太平洋戦争が始まったため、それで終わってしまった。

パラオ・淡水間2800km、横浜・淡水・サイゴン・バンコク線なども試験飛行は実施されているが定期便として運航されるところまで行かなかった。

この頃(1935年DZR設立)、ツェッペリンの飛行船も空路拡張を目指していたが37年ニューヨーク郊外レイクハーストで「ヒンデンブルク」が爆発炎上し、安全性が問われることになる。

この辺りを船舶・航空両分野で調べているのであるが、データや写真などが少ないだけに調べれば調べるほどのめり込んでいる状態である。

じっくり取り組むことにする。

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