2005年05月21日

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(飛行艇の時代:3)ショート・サンダーランド

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北ドイツロイドの客船「ブレーメン」が竣工した1929年に、ボーデン湖で主翼の上にエンジンを12基載せたドルニエのDo-Ⅹ飛行艇は乗客169人を乗せて1時間飛行した。
人員搭載の世界記録更新であった。

1930年末から翌年にかけて、イタリアの空軍大臣バルボ将軍が、双胴の飛行艇サヴォイアS55Aの編隊で南大西洋の横断飛行を行っている。
14機編隊で出発したが、悪天候中の離水で2機を喪失し、1機は途中で不時着したので横断したのは11機であった。

その1931年はスーパーマリンS6Bがシュナイダー杯レースに優勝し、英国をカップの永久保持国にした年でもあったが、パンアメリカンはシコルスキーS40・4発飛行艇を上回る仕様を提示し、シコルスキーがS42を、マーチンがM130でこれに応じた。
S42の乗客定員は最大32席・寝台配置で14席、M130は最大43席・寝台仕様で18席であった。

パンナムはS42を10機、M130を3機発注し、S42の1号艇は1934年、M130の初号機はその翌年年初飛行している。

マーチンM130の1号機は「チャイナクリッパー」、2号機は「フィリピンクリッパー」、3号機は「ハワイクリッパー」と命名され、その後の旅客用飛行艇はクリッパーと呼ばれるようになった。

真っ赤なマッキ・カストルディMC72が709km/時の速度記録を樹立した1934年、インペリアル航空はショートS23「エンパイア」を28機発注し、初号機は1936年に進空している。

1935年にパンアメリカンはマーチンM130飛行艇で太平洋横断空路を開設し、1936年にはボーイングにB314飛行艇を発注した。
B314の乗客定員は座席で最大74席、寝台で40席である。初号機は1938年に完成し「ヤンキークリッパー」と命名された。

1937年には、インペリアル航空とパンアメリカンが北大西洋横断商用空路の調査飛行を行っている。
西航にはインペリアルのショート・エンパイア「カレドニア」、東航にはパンアメリカンのシコルスキーS42「クリッパーⅢ」が使用された。

パンアメリカンは1939年、シコルスキーS42・4発飛行艇で初の北大西洋横断商用空路の運航を開始した。

この年、インペリアル航空はブリティッシュ航空と合併してBOACとなっている。

写真の切手は1969年にドバイで発行されたもので、BOACの「サンダーランド」の離水を描いている。

ずんぐりした艇体から「エンパイア」の後継機であることが判る。


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