2005年06月03日

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(生い立ちの記:APPENDIX-2) 海防艦34号

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引揚船と言うと関釜鉄道連絡船「興安丸」(7000総トン)やアメリカの戦標船リバティ船を思い浮かべる人が多いと思うが、こんな引揚船もあったのである。

明治・大正時代の海防艦と言うのは、戦艦や装甲巡洋艦の古いものを格下げしてそう呼んでいたので立派な軍艦であった。
元連合艦隊旗艦「三笠」、清国艦隊の旗艦であった「鎮遠」、ロシアからの戦利艦「肥前」などの戦艦や、装甲巡洋艦「浅間」なども後年 海防艦に艦種変更されている。

ところが、大戦末期に新たに設けられた海防艦というのは、駆逐艦も水雷艇も不足して慌てて量産した補助艦艇であり、軍艦ではなかった。

海防艦34号の場合、船体長さ65m、幅8.6m、基準排水量740トンの小船である。

潜水艦でも一等(伊号)は基準排水量1100〜3500トン、長さ86〜122mである。
第一、「艦」と呼ばれるふねは、哀しくとも基準排水量1000トンはなければならなかった。

最近建造されている海上自衛隊の掃海艇が500トンあまりであるからこれに毛の生えたようなものである。

海防艦34号は、昭和19年8月に東京の石川島造船所で建造された。
この写真は軍艦旗を揚げていないので引渡し前の公試運転直前の撮影であろう。
舷側のペナントナンバーは防諜のため、就役時に抹消される。

長年、この艦影を探していたが、1994年に㈱ベストセラーから発行された、故福井静夫著「写真:日本海軍艦艇史」にたった一つ掲載されていた写真である。


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