2005年07月11日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

(生い立ちの記:16) 構造委員会

SNAJ.jpg

造船業界は少なくとも技術に関してはオープンであった。

大手造船会社は、技術研究本部や研究所を設置して、造船用鋼材の材料強度や溶接工学から、大きな船型模型により推進・抵抗を評価する曳航水槽や、船体構造の局部/全体強度や振動特性を研究する設備や研究員を擁していたが、これらの研究成果を学会論文集や委員会報告として発表し、我が国の造船技術のレベルアップに貢献していた。

(社)日本造船学会は当時、日本造船協会と称していたが、このほかに西日本で西部造船会があり、関西には関西造船造船協会があった。
(これら3学会も、2005年6月に(社)日本船舶海洋工学会として統合された)

造船協会では、関東・関西・西部地区に分かれて活発に委員会活動を行っていた。

M社も主要メンバーの一社であった。
N・S・H造船所の船体構造設計部門は構造委員会の委員として活動していた。
西部地区部会は、西部造船会構造部会と2枚看板でメンバー会社の事業所持ち回りで開催されていた。

委員(名義人)は船体設計担当課長であったが、若手が代理で委員会やワーキング・グループで実作業を行っていた。

造船各社や大学・研究所の専門家に指導を受けながら研究作業を分担するので出席者には良い経験になった。

委員会は1泊2日で予定され、懇親会の席上などで貴重な教訓を教わったり、面白い話を聞くことも得難い体験であった。

K大学・H大学・M社N造船所/S造船所/H造船所、S社S造船所、H社I造船所/M造船所/A造船所、K社K造船所などに出張したので、造船所のある街は大体様子がわかった。

学会の錚々たる先生方に懇切丁寧に教えて貰うことも出来た。

委員会では、その頃発生していた船体損傷を原因別に調査し「船体の損傷に関する調査研究」という研究報告を発行した。

造船設計の仕事の中でも、大学時代に勉強したことと近く結びついた分野であったと思う。

Comment on "(生い立ちの記:16) 構造委員会"

"(生い立ちの記:16) 構造委員会"へのコメントはまだありません。