2005年08月15日

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パナマ運河開通記念日

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1914年8月15日、パナマ運河が開通して最初の船が通過した。

この運河は当初、スエズ運河を開削したフランスのレセップスが着工したが、掘削工事が困難で、資金難で倒産してしまった。

熱帯の密林での工事であったため、黄熱病とマラリアで3万人もの死者を出していた。

この後を引き継いだアメリカが、アースダムを建設してガツン湖の水面を利用することの出来る閘門式に変更して完成させたものである。

土木機械の近代化と徹底した保健衛生問題の克服、それに工事管理手法の導入が成功のキーポイントであった。

大陸分水嶺を分断するクレブラの切り通しが最大の難関で、このクレブラカットは、工事責任者であったデビッド・ゲイラード大佐の名を貰って現在はゲイラードカットと呼ばれている。

1999年12月31日をもってパナマ運河はアメリカからパナマに委譲されている。

航行可能な船舶の最大幅は32.3mで、キュナードの客船QE2もアメリカの戦艦アイオワ級もここを通過できる幅で設計されている。
両舷のクリアは0.5m以下である。

太平洋側の入り口がパナマであり、大西洋側の入り口はコロンであることは比較的よく知られているが、運河を太平洋側のパナマ湾からカリブ海に通過するときに船は東から西へ移動することは知らない人も多い。

通行料は貨物船の場合、パナマ運河ネットトンあたり2.57ドル、艦艇の場合排水トンあたり1.43ドル(1998年)である。

ギネスブックによれば、パナマ運河を泳いで渡った人が居るようであるが、マラリア蚊も鰐もいるのでおすすめしない。

パナマを通過する船舶の44%はアメリカ東海岸から極東へ向かい、9%がアメリカ東海岸から南米西海岸へ航行しており、主な積載物は穀物23%、石油関連14%、燐酸鉱物と各種肥料が13%である。

昨年竣工したQM2などの大型船は南緯55度を超えるホーン岬を迂回しなくては太平洋に来ることが出来ない。

写真は「飛鳥」のワールドクルーズの絵はがきから複写したものである。

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