2005年08月25日

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飛行船概史(3) 硬式飛行船の基本方式確立

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フェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯が硬式飛行船第一号「LZ-1」をボーデン湖で浮揚させたころ、アメリカではライト兄弟がノースカロライナのキティ・ホークでグライダーの滑空試験をおこなっていた。
1903年12月17日にフライアー1号で操縦された持続飛行に成功した。
この日の4回の飛行のうち、最長飛行距離250m、滞空時間は59秒であった。

この年にサントス・デュモンは飛行船第9号でシャンゼリゼにお茶を飲みに降りたりしていた。
この第9号は小型の一人乗りであった。

飛行機がまだ海のものとも山のものとも判らず、軟式飛行船が気球に推進器を付けただけであった当時、硬式飛行船はその基本方式を確立し、大型化と適用分野の拡大に向けて大きな未来を展望しつつあった。

ツェッペリンの硬式飛行船は、軽金属でフレームを組み流体力学的な形状の船体を保持できる構造であった。
この船体内に水素ガスを詰めたガス嚢を配置して浮力とバランスを保つのである。

ガスの浮力は1立方mあたり僅か1キログラムである。
本格使用段階になればペイロードが増加し、これを達成するために船体が巨大になることが予測されたが、揺籃期の飛行機や軟式飛行船では大型化の見通しも技術的根拠もなかった。

硬式飛行船はこの点をブレークスルーし、画期的な輸送手段となる素地を有していたのである。

1905年に「LZ-2」を完成させ時速40キロを出したが、2度目の飛行において操縦ミスで墜落した。

1907年には「LZ-3」が完成し、8時間の航続時間を達成した。

翌年完成した「LZ-4」はスイスへ往復12時間の飛行を行い、翌月には航続時間24時間も記録した。

「LZ-4」が夏の気象急変で墜落炎上すると全国から寄付金が寄せられ「LZ-5」を建造することが出来た。

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