2005年09月04日

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飛行船概史(6) 最も華やかな時期

LZ-127GZ.jpg

1929年にLZ-127「グラーフ・ツェッペリン」は世界一周飛行を成し遂げた。

大洋を渡って空を往く旅客船が実現したのである。

その年は、北ドイツロイドの高速客船が就航し、北太平洋のブルーリボンを勝ち得た年でもあった。
このときの記録はフランスのシェルブールからニューヨークのアンブローズ灯台までの3164海里を4日と17時間42分で走っている。
平均速力27.83ノットである。
ヨーロッパからアメリカには、その当時でも4.5日を要していたのである。

ツェッペリン飛行船会社は、北米には2日で、南米(ブラジル)へは3日で行けると宣伝していた。
南米にはドイツからの移民も多く、航空郵便物も多かった。

「グラーフ・ツェッペリン」の実績をもとにLZ-129「ヒンデンブルク」が建造され1936年に完成した。

「グラーフ・ツェッペリン」では主船体から下に張り出したゴンドラの部分にキャビンもギャレーもラウンジも設けられていたが「ヒンデンブルク」では主船体に2層の甲板を設け、キャビンも25に増やし、旅客定員を50名に増やした(後日キャビンはさらに増設されている)。

「ヒンデンブルク」にはグランドピアノまで搭載されていた。
実は、LZ-129「ヒンデンブルク」とLZ-130「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」は不活性ガス・ヘリウムを充填することで設計されたのであるが、アメリカが軍事転用のおそれがあるとしてヘリウムガスの輸出を許可しなかったため水素ガスが充填され、浮力が過大になったのである。
この浮力の差に見合う重量としてグランドピアノが搭載されたのである。
傾斜で移動しては重大な事故になるので床に固定されていた。
(2番船「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」は「ヒンデンブルク」の事故の後完成したのでアメリカがヘリウムガスを供給したが、こちらは何回か試験運航されただけで結局解体されてしまった。)

1937年5月6日、フリードリッヒスハーフェンからニューヨークに飛来した「ヒンデンブルク」は、郊外のレークハーストの繋留タワーに繋留作業中に何らかの原因で水素に引火し爆発し、到着の状況を実行しようと待機していたアナウンサーによって惨事が実況されたことはご承知の通りである。

死者35名、脱出に成功した人は62名であった。

この事故で、短くも華やかであった飛行船の時代は終わり、海を渡る長距離旅客輸送は飛行艇に受け継がれることになる。


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