2005年11月07日

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(飛行艇の時代:36) ドルニエ DoX2 「アレッサンドロ・ギドニ(I-ABBN)」

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ドルニエの巨人飛行艇DoX(D−1929)については既に「飛行艇の活躍した頃」の15回、21回に掲載しているが、今回はイタリアに輸出された2艇について紹介する。

写真は雑誌ミリタリーエアクラフト1999年9月号別冊「航空の黄金時代」(㈱デルタ出版:刊)に掲載されていたものである。

DoXの1号艇は完成早々の1929年に169人という人員搭載世界記録を立てたがこの内訳の乗員10名、乗客150名、密航者9名という数値からしても如何にけた外れの大きさであったか推察することが出来る。

この飛行艇でもドルニエの良く採用するエンジン搭載形式である一つのナセルの前後に牽引式と推進式のエンジンを搭載していたが、このため後部エンジンの冷却不良で出力が低下し所期の性能が発揮できなかったのである。

ドイツ航空省に引き渡された後、12基のエンジンを空冷のジーメンス社製(525hp)から水冷式のカーチス・コンカラー(625hp)に換装された。

このためカーチスを搭載した状態を「DoX1a」、新造状態を「DoX1」と呼ばれることになった。

「DoX1a」は1930年11月初旬にボーデン湖畔のアルテンハインを離水してニューヨーク往復飛行に飛び立った。
65箇所もの寄港地でPRや親善を兼ねたフライトとして予定されてはいたが、アルテンハインに戻ってきたのは2年後の1932年11月15日であった。
オランダ・イギリスを経由してポルトガルのリスボンで火災のため主翼を損傷したり、修理を終えてカナリア諸島で離水時に艇体を損傷したりしてニューヨークに到着するまでに10ヶ月近くの日時を要してしまったのである。
ニューヨークでも落雷に遭うなど災難続きであったが「DoX1a」のことはさておいてアルプス越えをしてイタリアに納入された2艇の話に移る。

イタリアではSANA(イタリア国営航空)が、トリエステ・ベニス・ジェノア・マルセイユ・バルセロナ・カルタヘナ・ジブラルタル・カディスと、イタリア・フランス・スペインにまたがる空路に就航させるため「DoX」を2艇発注した。

1931年に製作された艇にはフィアット製水冷(550hp)が搭載された。
これは「DoX2」と呼ばれた。

1号艇(通算2号艇)は「ウンベルト・マダレーナ(I-REDI)」、2号艇(通算3号艇)は「アレッサンドロ・ギドニ(I-ABBN)」と命名され、アルプスを越えてイタリアに納入された。

イタリアでも1号艇(D-1929)の稼働実績などを見ながら検討された結果、旅客艇には適しないとして空軍に移管され、垂直尾翼にイタリア軍用機の象徴である三色旗が描かれた。

上掲の写真は「アレッサンドロ・ギドニ」であるが垂直尾翼にその三色旗が描かれている。


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