2005年11月01日

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(飛行艇の時代:35) ディナータイム

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1930年代後半になると飛行艇によって渡洋空路が開設された。
当初はカリブ海沿岸であったが、路線は南米へ展開するほかハワイ・ミッドウェイ・ウェーキ・グァム・マニラを経由して香港まで延びて行った。

シコルスキーS42より大型のマーチンM130には6人がゆったり食事できるテーブルが用意されていた。
(写真上:出典は「のりもの選書:飛行艇の時代(イカロス出版:2005年刊)」)

1号艇「チャイナ・クリッパー」は1935年10月9日にパン・アメリカン航空に引き渡され、11月には2号艇「フィリッピン・クリッパー」が、翌年3月には「ハワイ・クリッパー」が納入されている。

座席は最大43席で、寝台仕様では18名と大型であった。

ミッドウェイ・ウェーキ・グァムに中継基地を設置して、夕刻これら中継ポイントで停泊して翌朝次の目標地点に向けて飛び立って行ったと言う。

1938年には大型飛行艇ボーイング314が登場した。
翌年、1号艇「ヤンキー・クリッパー」がニューヨーク・サザンプトン間を飛び、3号艇「ディキシー・クリッパー」もニューヨーク・マルセイユ線に就航している。

最大で昼間は82席、夜間はスリーピングコンパートメントに40人収容できたが、長距離では30人しか乗せなかったという。
2階にコックピットがあり、階下は4つのコンパートメントに分かれており、食堂・カクテルラウンジ・更衣室兼トイレットなどがあった。
ダイニングルームは一度に14人が食事できる配置になっていた。
(写真下:出典は上に同じ)

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