2005年11月16日

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(生い立ちの記:25) 波浪外力解明のための実船試験(7)

PortSalazar1.jpg

1971年9月5日の夕刻モサメデス沖に到着して22時15分に投錨し、翌朝7時15分に鉱石専用埠頭に接舷した。
瀬戸内海の製鉄所岸壁を出港してから26日目であった。

港の名前はポート・サラザールと言う。

その当時、アンゴラはポルトガルの植民地であった。
イギリスやフランスはアフリカの植民地を手放したが、1933年から続いていたポルトガルのサラザール独裁政権は1961年にアンゴラで解放闘争が始まったときにこれを力で押さえつけていた。
モサメデスの鉱石専用港には独裁者アントニオ・サラザールの名が付けられていたのである。
サラザールが1968年に病に倒れ1970年に亡くなった後1974年に軍事クーデターで政権が交代し、新政権が植民地主義を放棄したため、翌年独立しアンゴラ人民共和国となった。

黎明にブリッジに行くとポルトガル人のパイロットが到着したところであった。
階段を上がると「モーニング!」と声を掛けてきた。

朝靄の中から現れた2隻のタグボートに指示を出して鉱石埠頭に出船に付けた。

クルップ製のローダーには、鉱石ヤードから長いコンベヤが接続されていた。

その背景は高い崖になっていて、上には原住民の居住区やモスクがあるようであった。

鉄鉱石積み込み前後の船体構造の応答を計測する準備も済んだ。

乗組員も荷役が完了するまでの30時間あまり上陸することを楽しみにしているようである。
昨日、一昨日と司厨員が順番に乗組員の散髪をしていた。

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