2006年10月20日

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(飛行船:121) ツェッペリンアルバム(写真:第10回) 写真20〜21 −LZ8「ドイッチュラントⅡ」−

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[20枚目:飛行中の交通飛行船ドイッチュラントⅡ 1911年]

「LZ-7:ドイッチュラント」の事故の後、船体構造の一部を再生活用するなどして「LZ-8」が建造され、改めて「ドイッチュラント」と命名された。
後年「ドイッチュラントⅡ」と呼ばれる飛行船である。

船首の形状を見ると従来のツェッペリン飛行船と違って円錐形に近くなっている。
この頃、既にシュッテ教授の設計によるシュッテ・ランツの飛行船も建造中であり、
ツェッペリンの設計主任ルードウィッヒ・デューア博士も様々な情報をもとに船体形状について試行錯誤を重ねていたのかも知れない。
「SL-1」は同じ年に竣工している。

シュッテ・ランツとはシュッテ教授の設計に基づいてマンハイムの起業家カール・ランツの出資で開発された飛行船である。
当初から空気力学に基づいた流線型船体・大圏構造方式など飛行船の設計に大きな影響を与えている。
第一次大戦中に陸海軍に20隻以上納入され、終戦時には「SL-24」が建造中であった。
当初、ツェッペリンの特許を回避するため木製構造であった。

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[21枚目:デュッセルドルフで損傷したドイッチュラントⅡ 1911年]

哲学・経済学博士のエッケナー氏は記者をしていて飛行船に魅せられてツェッペリンに入社し、広報などを担当していたが学生時代からのヨットマンであった彼は飛行船の運転を習得して1911年2月にツェッペリン飛行船運航技能試験に合格し船長資格を取った。

しかし、彼は「LZ-8:ドイッチュラントⅡ」の船長として30回も遊覧飛行を行っているが5月に、デュッセルドルフの格納庫に入れようとして接触事故を起こし、同船は解体されてしまった。

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