2006年10月29日

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(飛行船:131) ツェッペリンアルバム(写真:第19回) 写真34 −設計主任デュア博士−

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[34枚目:ツェッペリン飛行船設計主任、ルートヴィッヒ・デュア博士]

ルードヴィッヒ・デュアはツェッペリン飛行船製造の設計責任者で、レーマン社長が「LZ-129:ヒンデンブルク」の事故で亡くなったあと社長になった人物である。

ツェッペリン伯爵がマンツェルに工場を作りその沖の湖面に建造用の浮き格納庫を造った1900年に、設計助手として設計陣に加わったときデュアは22歳であった。

写真を見て判るように真面目で頑なな人物であったようである。

1905年4月に「LZ-2」の建造を開始したとき伯爵のもとに居たのはデュアと2人の夜警だけであったと言われている。

船殻の強度を確保するためにアルミニュームの梁を補助支柱で組んだ3角形フレームを考案したのもデュアである。

彼はまた、飛行船の開発に必要な風洞装置を自費で建造しその研究成果を新造の「LZ-3」に反映させたと言われている。

彼が入ってきたときに「LZ-1」の設計は終わっていたが、その後「LZ-2」から未成の「LZ-131」まで全てのツェッペリン飛行船の設計にかかわった主任設計者であった(実際に完成したものは「LZ-1」を含めて119隻である)。

天沼氏の著述に『デュアはハッカーとともに Delag に売却された「LZ 6」の船長として旅客および郵便物の輸送に当たった』とする記述がある。
デュアはエッケナーより先に飛行船船長を務めたものと思われる。


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