2007年04月02日

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(飛行船:291) ツェッペリンアルバム(写真:第169回) 写真258 −軽巡洋艦「カールスルーエ」−

Bild258.jpg
[258枚目:軽巡洋艦「カールスルーエ」]

繋留中の軽巡洋艦「カールスルーエ」を上空から撮影した写真である。

周囲が写っていないので撮影港は判らないが、向こう側には駆逐艦が4隻繋留されている。

この「カールスルーエ」は3代目にあたり、「グラーフ・ツェッペリン」の竣工した1929年にドイッチェヴェルケ造船所で建造されている。
基準排水量6000トン、全長174m、速力30ノットで、主砲は15cm3連装を艦首に1基、艦尾に2基搭載し、乗員514名である。

軽巡「カールスルーエ」といえば第一次大戦で先代の活躍が有名である。
開戦時、キューバのハバナ近海にいた艦長ケーラー中佐の指揮する同艦は中部大西洋で通商破壊艦として17隻、約76000総トンの商船を撃沈した。
1914年11月に洋上で火薬庫爆発で沈没したが、乗員の大部分は随伴の石炭船に救助されている。
英国巡洋艦部隊はこれを知らず、翌年まで幻の「カールスルーエ」を探索していた。

通商破壊戦に従事したもう1隻の軽巡洋艦「エムデン」の逸話は有名である。

開戦時に青島にいた「エムデン」は太平洋・インド洋で通商破壊戦を展開し、24隻の商船を捕獲し、多くは撃沈しているが4隻は捕獲後釈放し、捕獲船の船員を1人も殺していないことは特筆に値する。

なかでも、偽煙突を立ててペナン港に乗り入れ、同艦を探索していたロシアの軽巡「ゼムチューグ」とフランスの駆逐艦「ムスケ」を撃沈した話は有名である。
このとき敵艦の生存者を救助し、終戦までドイツに敵対しないことを誓約させた上で新たに捕獲した英商船に移し釈放している。

この「エムデン」艦長カール・フォン・ミュラー中佐の行為は、ロンドンのデイリー・テレグラフも敵ながら称えたという。


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