2007年06月09日

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(飛行船:351) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(7)

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(「LZ-10:シュヴァーベン」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「シュヴァーベン」船上の伯爵と博士:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-11:ビクトリア・ルイゼ」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-11:ビクトリア・ルイゼ」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-11:ビクトリア・ルイゼ」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-13」:ハンザ」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(「LZ-17:ザクセン」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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(続き)

解決すべき3つの課題があった。

第1は、横風の吹くなかで格納庫から引き出し、あるいはこれに収容するときの難しさと危険性を解決する必要があった。

第2は、有能な操舵手を育成し、壊れやすい飛行船をうまく着陸出来るようにすることである。

第3は、正確に天候の予測が可能な、有効な天気予報を提供出来る仕組みをつくることである。

私は、これら3つの課題は解決出来ると信じていた。

しかし、常に限界状態で、乗客が飛行船の周りに集まっていらいらしながら乗船合図を待つなかで、強い横風の中を、あるいは正面に今にもくずれそうな空模様を見ながら、あえて飛行船を格納庫から引き出す決断を下さなければならなかった、何にも喩えがたい気の重い心情を決して忘れることは出来ない。

飛行中止は、とんでもないことで企業経営に悪影響をもたらし、無責任な決行は飛行船を危険にさらすことになる。

何度、このような状態で、飛行船船長になった運命を呪ったことだろう。

あるとき、私が飛行船船長に就任して間もなくのことであるが、大勢の観衆が押し寄せるなか、船内には満員の有力者や重要人物達が、風向きの良くない状態にもかかわらず飛行船を格納庫から引き出すように要望したが、それは飛行船を危険にさらすことであった。
私が優柔不断な決断をした結果、飛行船を、殆ど完全に作り直すほどひどく破損したことがあった。
それ以来というもの、そのような一時の感情による行動は取らなくなった。

困難に打ち勝つために、何度も訓練を繰り返し、適切な運航手順を決め、確実な技術を開発した。

このようにして我々は「シュヴァーベン」、「ビクトリア・ルイゼ」、「ハンザ」、「ザクセン」の4隻の飛行船で1910年から1914年の間に、2000回以上の飛行を重ね、1万人以上の乗客を乗せて飛んだ。

しかし、それは「エアライン」と呼べるようなものではなかった。

およそ、航続時間2時間程度のローカル飛行で、熱狂的な乗客が飛行の魅力を楽しみ、空を飛ぶという人間の夢を実感したのである。

にもかかわらず、DELAGはこれによって資格を持った飛行船指令(船長)と操舵手を訓練し、特に、あらゆる危険の待ち受けるなかを、航空機が空という大海を航行するに必要な事物に馴れるという目的を達成した。

従って、DELAGは飛行船航法の最高学府となり、やがて軍も、通常1人の将校に3、4人の下士官からなるグループを派遣し、飛行に加わるようになった。

なかでも特筆すべきは海軍の参加であり、我々はツェッペリンは洋上での偵察に、巡洋艦のような水上艦艇より効果的であるという見解を持っていた。

海軍が1914年に海軍飛行船部隊を創設し、ツェッペリン飛行船を空中の巡洋艦として採用することを決定したことには本当に満足し、喜んだものである。

開戦時、私は「義勇飛行船船長」として海軍飛行船を指揮することを委嘱された。

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[註1]
これら遊覧飛行船の乗客は、その料金から上流階級の人達に限定される。
そこで船内で、フォアグラやキャビアを提供し、ドイツやフランスの高級ワインが用意されていた。
詩人であり随筆家でもあるヘルマ・ヘッセも招待されて、1911年にシュヴァーベンに乗船している。
この時彼はエッケナー博士と言葉を交わしている。
彼の乗船記は「素晴らしい空中散歩」として随筆集「空の旅」に掲載されているが、ヘッセは素晴らしい飛行を礼賛したあと「あのシャンパンだけは、飛行船のなかでは唯一ナンセンスで必要のないもののように思えた」と述懐している。

[註2]
「シュヴァーベン」は1912年6月17日に一般からも募集した最初の航空郵便を運んでいる。
航空郵便は後日、ツェッペリン飛行船の大きな収入源になった。

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