2007年06月27日

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(飛行船:369) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(25)

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(独・仏・瑞西の国境に近いバーゼルの街、:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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 グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(5)

離陸して、8時ちょうどにエンジンを始動した。

素晴らしい展望が、動くパノラマのように眼下に展開され、大きな窓の前に心地よい椅子にかけた乗客は驚きと感激でそれを眺め、ツェッペリン飛行船で船旅することが如何に快適で楽しいものであるかを実感していた。

この飛行の主な目的の一つは、この経験で飛行船に乗ると、ただ飛ぶだけでなく「船旅」という言葉で表されるすべての素晴らしい意味で、船旅するのだと言うことを人々に紹介することであった。

ライン川を全速で飛んで古城や中世の街の上を過ぎ、シュヴァルツヴァルトの南縁に沿ってバーゼルに向かい、そこで川を渡って1時間半足らず低空飛行して到着した。

期待して待っていた群衆が、橋や広場の外まで、我々の順調な飛行を祈って波をなしていた。

そこからサオネ渓谷を下った。

右手に、有名なブルゴーニュの葡萄畑でワイン業者が収穫しているのが見えた。

左手は雪を頂いた巨大なモンブランなどアルプスの連山が目を楽しませてくれた。

それからアヴィニヨンのような歴史のある街や、古代ローマ建造物の遺跡が点在し、引き続き、眼と心を惹きつけた。

そのうち、昼過ぎに地中海に着き、忘れがたい新たな感激が心を揺すった。

あたかも周りを取り巻く、霧のかかった青の広がりのなかを滑空しているようであった。
空と海は何処が境目か判らないように溶けこんでいた。

我々は、何か固いゴツゴツしたものから解き放たれて、軽く軟らかな香りのなかに浮いているようであった。

夢のなかで、乗客は言葉にならない恍惚のなかで可愛く飾られたコーヒーテーブルに座って無限に広がるパノラマのような海を見ながら、よきフリードリッヒスハーフェンのケーキを楽しんでいるような感じであった。

そうだ、飛行船による船旅は素晴らしい。

「穏やかな海と楽しい旅行」とは、この地中海上空の飛行のための言葉であり、それはまた翌日の大西洋飛行のための言葉でもあった。

次第に夜が訪れた。

暗く神秘に包まれた険しいスペイン海岸の岩壁がぼんやりと、飛行船の明かりで辛うじて見えていた。

明るく輝く光の海はバルセロナであった。
ギラギラ光る広告燈は夜の街に活気を与えていた。

街と港を低く周回して、郵嚢を投下した。

そのなかには途中で投函された、ジャーナリストの記事や、乗客の書いた葉書も入っていた。

バレンシアは遠く地平線に微かに見えた。

真夜中にかけて、スペイン南東端のパロス岬とガータ岬をまわり、そこから西へジブラルタルへ向かった。

1時間後に、明るく輝くセウタ燈台とジブラルタルを正面に見て、払暁に海峡を抜け大西洋に出た。

再び眼下に、これから我々が飛行船の能力を証明する舞台が見えた!

ちょうど4年前、ZRⅢで渡った波乱に富んだ飛行の記憶が鮮やかに蘇ってきた。

この広漠として、意地悪く予測できない北大西洋で、今度はどんな出来事に出遭うのだろう。

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[註1]飛ぶだけではなく船旅をする
最近やっとクルーズの楽しさが一般に理解されはじめた様であるが、飛行船・飛行艇を含めて船旅というのは洋上での快適な生活の場であり、社会である。
テーブルメートとは趣味や家族のことなどを談笑しながら食事を楽しみ、イベントに参加するのもしないのも、ご当人の好みと人柄である。
これが、単なる交通機関と異なる点である。
船旅には「エコノミークラス症候群」などという言葉はない。

[註2]黒い森
ドイツはスイスのような山岳地帯はない。
その代わりでもないであろうが、広い森林地帯が残されている。
シュヴァルツヴァルトは「黒い森」であるが、地図帳では殆どシュヴァルツヴァルトと表記されている。
南部ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州に広がる森林地帯である。

[註3]セウタ燈台
セウタはジブラルタル海峡の南のモロッコにあるが、スペイン領である。
ジブラルタル海峡は重要な航路なので燈台が置かれている。
「グラーフ・ツェッペリン」は1929年の春にイベリアを一周したが、そのときこの近くのタンジールやテツアンの上空も飛んでいる。

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