2008年09月04日

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この頃感じること

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別のところで、硬式飛行船のウェブページ「航空事業の開拓者(http://www.air-ship.info/)」を開設して、月末で1年になる。

風の吹くまま飛ばされてゆく自由気球の時代に、硬式飛行船を開発し、技術開発とともに世界でまだ誰もやったことのない定期航空路を開設して、それを運航・維持する体制を築き挙げた先人の業績を調査しているのである。

飛行船が初めて浮揚してまもなく飛行機が発明されたが、まだ海のものとも山のものとも判らず、一部の命知らずの道楽や曲芸に留まっていた時代であった。

このページは単なる懐古趣味で始めたのではない。

この石油資源の枯渇や地球環境の汚染が叫ばれているなかで、今日も多くのジェット機が世界の空で飛びまわっている。
軍用機は当然のことながら、民間航空機でも乗客の何人がそれほど急いで飛びまわる必要があるのだろう。

航空会社は養鶏場のケージに収容されたブロイラーのようにして乗客を捌いて企業採算を確保している。

私は一握りの人間の思いで民を誘導しあるいは強制する社会主義は間違っていると思うが、メーカーも運航会社も大量生産・大量消費で特色のある企業が大企業に吸収され寡占化が促進されつつある資本主義社会も看過できない状況にあると憂えている。

現状を見直して、もっと人間らしい旅を目指すべきではないか。
エッケナー博士も「人は飛行船で飛ぶのではない。航海するのである。」と言っている。

どういう計算をしたのだか、飛行船は飛行機より16倍もエネルギー効率が良いという。

「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」は1928年9月18日に初飛行してから、エッケナー博士、レーマン船長、フレミング船長、フォン・シラー船長、ヴィッテマン船長、プルス船長の指揮で1937年6月18日までに、距離にして169万5千kmあまり、飛行時間にして17万時間以上飛行し、3万4千人(そのうち乗船料を支払ったもの1万3千人あまり)を載せて590回の飛行を行い、その間、人の死亡する事故は起こしていない。

運んだのは人ばかりではない。
3万トン以上の航空貨物、3万9千トンの郵便物を運んでいる。

南大西洋に停泊してルフトハンザの郵便飛行艇の中継をしていた船がドック入りしているあいだ、ブラジル、ペルナンブコのレシフェとアフリカ、ガンビアのバサーストとの間を往復したこともあった。

しかし、その後建造され夢の乗り物と言われた「LZ-129:ヒンデンブルク」はレークハーストで爆発炎上し、グッドイヤー・ツェッペリンで建造された「ZRS4:アクロン」と姉妹船の「ZRS5:メーコン」は水素の代わりに不燃性のヘリウムガスを使用していたにもかかわらず、何れも就航後短期間で墜落している。

この問題に関心を持って調べて行くと「人」の問題ではないかと思うようになった。

エッケナーは「博士」と呼ばれていたが、工学博士ではなく哲学と国民経済学で授与された学位である。

その彼がツェッペリン飛行船製造社に招聘されたのは広報担当役員としてであった。
ツェッペリン飛行船製造社を経営していたコルスマンは、ドイツ国内主要都市を結ぶ航空網を作るために飛行船を運航する株式会社を設立し、デュッセルドルフやハンブルクなどの都市に株主になるよう説得するのが仕事であった。

ある船長が飛行船を壊して解任された後、コルスマンに勧められて飛行船船長資格を取り、運航部長兼任の飛行船船長になったのである。

後に「LZ-130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の指令となるアルバート・ザムトはガス嚢担当や、操舵手を経験し船長になったし、「LZ-2」以降すべてのツェッペリン飛行船を設計した設計主任のルートヴィヒ・デューアも一度だけではあるが飛行船指令を務めている。

彼らは自分の職務に全身全霊であたったのである。

「私の専門ではない」とか「こんなことをするためにここに来たのではない」などとは決して言わなかった筈である。

だから、しっかり準備をし、不測の事態も自分で判断し、決断したのである。

エッケナー博士は、事故の原因が不注意や準備不足に起因すると考えたときは厳重に注意したという。

最近は、自分で勝手に考えた自分の守備範囲以外には無関心になり、その領域も専門化・細分化が過ぎるように感じられることがある。

飛行船や潜水艦では、一人のミスが大事故になり、一つの報告の遅れが致命的事故になることがある。

このページでは、当時それぞれの分野で黙々と仕事をして航空事業を立ち上げた人達の業績を描こうと思っている。

まだまだ取材・調査の段階であるがライフワークとして取り組もうと思っている。

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それと、副次的なことであるがあまり信頼の置ける邦書が少ないこともあって、原著を読み始めたことは良かったと思っている。
教養教育で素通りしたドイツ語に何十年も経って対面しても、辞書を引くことすらおぼつかなかった。
やっと、何とかなりそうな気がしてきたところである。


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