2008年10月03日

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アルバート・ザムト著「ツェッペリンに捧げた我が人生」

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アルバート・ザムトは「ヒンデンブルク」に当直士官として乗務していて、レークハーストの大惨事で大怪我をしたが、その後 最後のツェッペリン飛行船である「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の指令を務めた人物である。

「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」はツェッペリン飛行船でただ一隻のヘリウム船であった。

アルバート・ザムトは賠償飛行船「LZ126(ZRⅢ)」の昇降舵手として世界で初めての渡洋飛行に参加し、飛行船と共にレークハーストに残り、米海軍の乗組員の指導をしている。

帰国後「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」の乗組員として世界一周飛行、北極探検飛行、南米定期便など主要な飛行に従事している。

1937年には7人目の飛行船指令に認定され、翌年「LZ130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の指令に任命された。

そのザムト船長がテープに録音していたものをフェルディナンド・ツェッペリン伯爵の孫にあたるヴォルフガング・フォン・ツェッペリン氏が聞いて、ツェッペリン研究者として著名なクラインハインス教授が改訂・編纂を行ってザムト船長が90歳のときに発行された「ツェッペリンに捧げた我が人生」はとても具体的に記述されていて資料としても一級品である。

これまで、別のページで部分的に紹介していたが、貴重な資料なので全面的に紹介することを思いついた。

じっくり腰を落ち着けて読んで行こうと思う。

上図は同書に掲載されている「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の船内を描いたイラストであるが、ダイニングやキャビンの配置が、同型船の「ヒンデンブルク」と相違しているのが判る。


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