2008年10月13日

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定期客船・飛行艇・飛行船が競合した良い時代

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硬式飛行船に関する原典(独文・英文)を読んでいるが、読み物としてはフーゴー・エッケナー博士の「陸を越え、海を越え」とアルバート・ザムト船長の「ツェッペリンに捧げた我が人生」が面白い。やはり、当事者が体験し感じた印象が生で伝わってくる感じである。
飛行船の運航者としては、ハンス・フォン・シラー船長の著書も入手したが、いまはエッケナー博士とザムト船長の回顧録を読むのが精一杯の状態である。
この調査で、データとしては各飛行船の指揮者や経歴、飛行船格納庫の諸元、各飛行船の運航実績や、主要飛行における乗組員名簿(ヒンデンブルクの最後の航行では全乗客も)など各飛行船の仕様や改造実績なども集まったので時間を掛けて整理しようと思っている。

いま、ザムト船長の著書を半分程度読んだところで「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」の南米定期便運航の章に入ったところである。

ここでは「グラーフ・ツェッペリン」のほか「LZ-129:ヒンデンブルク」、「LZ-130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」など飛行船のほかに、ドルニエの傑作飛行艇「ヴァル」、フォッケウルフの長距離輸送機「Fw200:コンドル」など航空機や、それらを運航していたパン・アメリカンやDZR、HAPAGなどが出てきて面白くなってきた。

現在、ドイツの代表的空港であるフランクフルト・ライン・マイン飛行場もツェッペリン飛行船の南米・北米定期運航にあたって新設された空港であることは忘れ去られようとしている。

当時、南米定期便の中継基地としてスペインのセビリアとブラジル・ペルナンブコのレシフェには繋留マストが建設されていたが、のちにリオ・デ・ジャネイロにもドイツの建設会社の手でサンタクルスに格納庫を建設した。

飛行船も飛行艇も定期客船もこの頃が一番面白かったのではないかと思う。

それを開発し、実用化し、航路を啓開し、運航した人達のことをまとめたいと思っている。

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