2008年11月18日

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飛行船四方山話(13):ドイツの硬式飛行船メーカー

SL7.jpg

今回は趣向を変えて。
初級レベルだと思うけれど・・・。

[区分] 一般:メーカー
[級]  初級

[問題]
ツェッペリンの硬式飛行船は有名ですが、ドイツでツェッペリン以外に硬式飛行船を20隻以上建造していた会社がありました。
この飛行船は次のうち、どれでしょう?

 1.パーセヴァル(P)
 2.シュッテ・ランツ(SL)
 3.マイバッハ(Maybach)
 4.ハインケル(He)

[答] 2

[解説]
ヨハン・シュッテ教授はベルリンのシャルロッテンブルク工科大学で造船学を専攻し、卒業してハンブルク・アメリカ・ラインと並ぶドイツの2大海運会社、北ドイツロイドの造船部門に入社しました。
同社が北大西洋横断速度記録を狙って建造した定期客船が、契約時に保証した速度を満たすことが出来ず、大きな裁判になりました。
このときシュッテ博士は流体力学の研究で最適船型を突き止め、結果として北ドイツロイドはその客船の引取を拒否したのです。
その業績を評価されて30歳でダンチヒ工科大学の教授に迎えられました。
シュッテ教授が飛行船の設計にかかわるきっかけはツェッペリンの飛行船LZ4が24時間耐久試験の途中、シュトットガルトの郊外で不時着し炎上したときに、飛行船を研究し、改良した設計をツェッペリン伯爵に提案しました。
伯爵は提案を聴いたのですがその採用を断りました。
それでシュッテ教授は事業家カール・ランツとシュッテ・ランツ飛行船製造会社を始めました。
SL型飛行船は、第一次大戦中も硬式飛行船を建造し、建造隻数は20隻以上になっています。

いまでは当たり前になっている、流線型の船体や垂直・水平の十字尾翼もシュッテ博士が開発したもので、ツェッペリンも後年その成果を取り入れています。

パーセヴァル(P)は軟式飛行船メーカーです。
パーセヴァルも少数ながら第一次大戦初期に軍用として採用されています。

マイバッハ(Maybach)はエンジンメーカーです。
ダイムラーとともにエンジンの研究をしていたヴィルヘルム・マイバッハがツェッペリン伯爵の飛行船にエンジンを供給するために子息カールとともに設立した会社で、ウィルヘルム・マイバッハが居なければダイムラー・ベンツはなかっただろうといわれる人物です。
ダイムラーの高級車にマイバッハブランドが復活しています。

ハインケル(Heinkel)は航空機メーカーです。
高速郵便機 He70 や He111 など優れた飛行機を開発しています。
戦闘機 He112 も優秀な性能でしたがメッサーシュミット Bf109 に評価で破れ採用されませんでした。

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見出しの写真はシュッテ・ランツ飛行船 SL7。


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