2008年12月19日

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飛行船四方山話(44): ボーデンゼーの運航実績

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大戦後、手持ちの資材で建造された飛行船は大活躍した・・。

[区分] 運航・実績
[級]  初級

[問題]
第一次大戦の敗戦後、急いで建造された「LZ120:ボーデンゼー」は1919年8月に初飛行を行い、1921年7月に戦時賠償としてイタリアに引き渡されましたが、短期間にフリードリッヒスハーフェン・ベルリン(シュターケン)間で旅客のほか、貨物・郵便などを載せて大活躍をしました。
1919年の8月から12月始めまでに何往復したでしょうか?
次の回答群から選んでください。

 1. 22往復
 2. 28往復
 3. 36往復
 4. 38往復

[答] 4

[解説]
エッケナー博士は、戦勝国が船舶・飛行機・飛行船などの建造、運航の制限を討議している間にLZ120の建造に踏み切りました。
竣工直前に決定されたドイツで建造が認められる飛行船のガス容量は3万立方メートルでしたが、LZ120は2万立方メートルで建造されました(のちに延長)。
1919年8月20日に初飛行、翌日も試運転を行い、8月24日にはベルリン・シュターケン発着場までの営業飛行を開始しています。フリードリッヒスハーフェンを出発してベルリンに行き、翌日ベルリンからフリードリッヒスハーフェンに戻り、毎日のように飛んでいます。
この間、シュターケンからストックホルムやウォルミアシュテットにも往復しており、9月12日から10月4日までは両発着場往復の途中、ミュンヘンにも寄港しています。
連日満員で旅客定員以上乗せたことも多かったようです。
この時期はストライキが行われたこともあり、鉄道も道路交通も混乱状態だったので電報を載せて飛んだこともあるようです。

初めて流線型船体を採用したツェッペリン飛行船であり、初めて操縦室と旅客区画を含むゴンドラを船体に取り付けた飛行船、最も速い飛行船であり、初めて無線方位測定器・無線電話を装備した飛行船でもありました。

イタリア海軍に引き渡されて「エスペリア」と呼ばれるようになりました。

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