2009年01月11日

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飛行船四方山話(67): LZ130の乗客定員

LZ130Klant.jpg

LZ130は基本的にLZ129と同型であったが・・。

[区分] 基本設計・乗客区画
[級]  上級

[問題]
「LZ130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の旅客定員は何人だったのでしょうか?

 1. 40名
 2. 50名
 3. 60名
 4. 72名

[答] 1

[解説]

LZ130はLZ129:ヒンデンブルクと建造契約と同時にツェッペリン飛行船製造社に発注され、LZ129の試験飛行直後に起工されることになりました。
しかし、レークハーストの事故でスケジュールは大幅に遅延し、「グラーフ・ツェッペリン」と命名されて完成しました 。
ツェッペリンでは「LZ7」に「ドイチュラント」と命名し、トイトブルクの森で衝突すると代船「LZ8」を建造し、同じ「ドイチュラント」と名付けたように別の飛行船に同じ船名を付ける例が見られます。
この「LZ130」も「LZ127」と混同しないように「グラーフ・ツェッペリンⅡ」として扱われることが多いようです。
初飛行は1938年9月14日です。
基本的には「LZ129」と同型船で、リング173からリング188迄に旅客用区画を設けているのですが、配置は全く新たになり、LZ129ではBデッキにあった厨房や喫煙室も同一フロアになり、左舷側にあったダイニングルームは船尾側中央に移されています。その代わり乗客用キャビンが右舷まで広げられ、窓のついたキャビンが4室設けられました。
このため乗船用タラップも約5m船首側に移動しました。
LZ129では中央部4列であった乗客用ツインキャビンが右舷舷側から5列20室になり、定員は40名となりました。
Bデッキに舷窓が見えるところから士官用/部員用ダイニングなど乗組員用のスペースはBデッキに残されたものと思われます。
但し、乗客用キャビンにナチの宣伝要員を乗せてプロパガンダ飛行をしたことはありますが結局有料の乗客を乗せて大西洋を渡ることはありませんでした。

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