2009年07月31日

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ドイツ国民議会がヴァイマール共和国憲法を採択(1919年7月31日)

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第一次大戦末期の1918年11月9日に共和国の成立が宣言され、翌日ヴィルヘルム1世はオランダに亡命した。
11月11日にパリ郊外コンピエーヌの森に設置された食堂車のなかでドイツは連合軍との休戦協定に署名し、同日午前11時に軍事行動は停止された。

講和条約の調印は翌年6月28日にフランスのヴェルサイユ宮殿・鏡の間で調印された。そして7月31日にドイツ国民会議はヴァイマール共和国憲法を採択したのである。
同憲法は8月11日に制定され、8月14日に公布・施行された。
初代大統領はフリードリヒ・エーベルトであった。
2代目大統領はパウル・フォン・ヒンデンブルクであったが、1932年の大統領選では社会民主党からエッケナーに、ヒトラー候補に対抗して出馬しないかと打診があったという。

結局、この選挙ではヒンデンブルクが再出馬し大統領に再選された。そして1933年1月にヒットラーが首相(国家宰相)に指名され、ヴァイマール体制は崩壊を迎えることになる。

写真はエッケナーと談笑するエーベルト。


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