2009年09月03日

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日本郵船の商船隊建設(1929〜1930年)

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日本郵船は、1926年に東洋汽船の定期船部門である第二東洋汽船を合併し、同社の保持していたサンフランシスコ航路と南米西岸航路を継承した。

これを機に、郵船はサンフランシスコ線3隻、シアトル線3隻、欧州線2隻、南米西岸線ほかの新造を決めた。
一度にこれほど大量の投資は前例のないものであった。

郵船は1925年に初めて主機に内燃機関(ディーゼル)を装備した飛鳥丸、愛宕丸をイギリスから購入したばかりで、それまでの船舶は三連成のいわゆる蒸気機関を装備していたのであるが、両船の運航実績により北米航路・欧州航路向けのすべての新造船の主機は内燃機関とされた(1934年、36年に竣工した東洋航路のパラオ丸(長崎)・サイパン丸(同)はタービン付き三連成機関であった)。

サンフランシスコ航路向けの3隻は浅間丸(長崎建造:1929年竣工)・龍田丸(同:1930年)・秩父丸(横浜建造:1930年)で、シアトル航路の3隻は氷川丸(横浜建造:1930年)・日枝丸(同:同)・平安丸(大阪建造:1930年)、欧州航路の2隻は照國丸(長崎建造:1930年)・靖国丸(同:同)である。

その頃、ヨーロッパでは北ドイツロイドのブレーメン(デシマーク建造:1929年)・オイローパ(ブローム&フォス建造:1930年)が北大西洋航路に就航し、スーパーライナーと謳われていた。

見出しのイラストは浅間丸一等ラウンジのカラースキームである。
一等公室は欧州の装飾会社(英仏独の10社)と引き合いのあと実績の多い英ワーリンギロー社に発注された。
このラウンジは、早期ジョージアンスタイルだそうである。


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