2009年10月13日

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未来の旅客用飛行船を考える(1)

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私は旅客用交通機関として船が好きである。

船を眺めるのが好きな人は、貨物船であろうと、帆船であろうと長い航路を航走する姿に魅せられるのであろう。
一昔前の貨物船には風格があったが、最近は見惚れするような貨物船は少なくなった。
以前は、石油も貨物船で運んだことがあったが石油運送船は早くから専用船となり、油槽船が出来た。
発音すると油槽船では輸送船と区別がつかないので放送では「アブラユソウセン」と言っていた。
その後、コンテナ船や自動車運送船、あるいはバルクキャリア、鉱石専用船、LNG船など、輸送効率を上げるために専用化されて能率一点張りであまり絵になる船は少なくなった。
しかし、何日も海と空しか見えない大洋を行く船にはロマンが感じられる。

瀬戸内海や、南西諸島、それに伊豆七島や小笠原では連絡船が生活物資を運び、人々の脚となっている。
そんな連絡船やプレジャーボート、ヨットも船には違いないが、何か違う。

考えてみると、船旅というのは数日にせよ、そこを居住の場として生活することである。キャビンだけでなく、プロムナードデッキやラウンジ、ダイニングといった公室があり、乗組員や乗船客同士のコミュニケーションがある。

私は、両世界大戦の間の短い時期が「航海らしい航海」の時代であったと思う。
1929年に大西洋の高速汽船「ブレーメン」は20年間英国のキュナードが保持していたブルーリボンをドイツに奪還し、運航評価を兼ねた旅客用飛行船「グラーフ・ツェッペリン」は20人もの乗客を乗せて世界一周を成し遂げた。
同船を指揮したエッケナー博士は「人は飛行船で飛ぶのではなく、航海するのだ。」と言った。彼は飛行船によって客船のようなサービスをめざしていたのである。
1936年には、夢の乗物と呼ばれた本格的旅客用飛行船「ヒンデンブルク」を北米航路に就航させた。
1938年になるとイギリスはCクラスと呼ばれる飛行艇でインド、南アフリカ、マニラ、オーストラリアに定期便の運航を開始した。
いずれも、キャビンのほかプロムナードデッキやダイニング、バーなどを備えていて乗客は快適な航海を楽しんでいた。

戦後、旅客機がジェット化され、エコノミークラスが設定されて以来「航海」や「洋行」という言葉が消えた。

座席の間隔を出来る限り狭めて座席数を増やし、エアライン同士のシェア獲得競争が激化して、パンアメリカンのような航空会社まで過去のものとなってしまった。
現在、地球の裏側に行くのに、前後も左右も1メートルもない空間に閉じこめられたまま、2度も3度も食事をせざるを得なくなった。

これは「航海」でも「旅」でもない。

しかも大量の化石燃料を消費し、空気を汚し地球温暖化を促進している。

乗っているのは外交や貿易に携わる人たちや政府要人だけではない。
エコノミークラスに乗っている人のほとんどはそれほど急いだ旅ではないはずである。

大洋を航行する船舶は、乗客1人あたりの輸送コストの点からも、耐航(候)性の点からもある程度の大きさが必要である。
それに大洋を横断するには、ちょっと時間が掛かりすぎる。

こうして検討してみると「飛行船」をただ遊覧飛行や稀少鉱物資源探査だけでなく旅客用に活用することは出来ないかと思えてくる。

飛行船は浮かんでいるだけではエネルギーを消費しないので、飛行機に較べて桁違いに推進効率が良く、クリーンである。

飛行船工学も、船舶工学と同様に経験工学である。

ドイツの飛行船に倣って、英米仏など各国が硬式飛行船を設計し、建造し、運航した。
しかし、米海軍の誇る「ZR1:シェナンドア」も「ZRS4:アクロン」も「ZRS5:メーコン」も、ヘリウムを浮揚ガスとして運航されていながら就役して2年もしないうちに墜落している(ツェッペリン飛行船製造社で建造した「ZRⅢ(LZ126:ロサンゼルス)」は10年以上の長寿であった)。

ツェッペリン製で、実際に国際航路に就航した硬式飛行船は実用試験船の「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」と「LZ129:ヒンデンブルク」の2隻に過ぎなかったがその前に100隻以上の飛行船を設計し、建造し、運航してきた実績が反映されていた。

硬式飛行船は1937年のレークハーストの惨事により突然姿を消した。

このカテゴリーでは、まず硬式飛行船はなぜ過去のものとなったのか、事故例を検討することから始めようと思う。

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