2009年10月28日

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未来の旅客用飛行船を考える(12) 事例分析(3:DELAG運航開始)

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エヒターディンゲンで炎上した「LZ4」の同型船「LZ5」は1909年5月26日に初飛行している。
その後5月29日にフリードリッヒスハーフェンからウルム、アウグスブルク、ニュルンベルク、ホフ、を経てビターフェルトまで飛行して折り返し、真夜中にシュトットガルト上空を通ってゲッピンゲンの近くで航法ミスで梨の木に衝突した。
このときルートヴィヒ・デューアは連続37時間昇降舵を操作し続けており、疲労と睡眠不足で限界を超えていた。

このときはフリードリッヒスハーフェンから鉄道で駆けつけた救援隊が前部エンジンを撤去し、応急処理を施した上6月1日の午後帰途につき、翌日やっとのことで母港に帰投している。

その後、同船は陸軍に納入され、陸軍飛行船「ZⅡ」となり、ケルンに配備された。
同船は翌年4月24日に、嵐のためにヴァイルブルクの丘に当たって解体された。

まだ試作段階と言ってもよい段階で、気象予測も航法も確立される以前のことである。

「LZ6」は1909年8月25日に初飛行している。
新造時の主要目は改造後の「LZ3(ZⅠ)」、「LZ4」、「LZ5」と類似であり、フランクフルト・アム・マインで開催されたILA会場まで飛行している。

その後ガス嚢を増やして18とし、全長が136メートルから144メートルに延長された。前後に吊り下げられたゴンドラに乗務する乗員7名のほかに、船体中央底部に10名の乗客を乗せるゴンドラが取り付けられていた。

設計技術者のデューアが初めて指令を務めた飛行船となった。
「LZ6」は1910年6月から9月12日までDELAG船として運航され、726名の乗船料を支払った乗客を含む1100名を乗船させている。
この間にDELAG船としての飛行回数は34回、総飛行時間66時間、距離にして3132キロメートルという記録が残されている。

しかし9月14日にバーデン・オースの格納庫でベンジンでエンジンゴンドラを清掃中にエンジン始動のスパークが点火し、全焼してしまった。

その間に、DELAGが初めてツェッペリン飛行船製造社に発注した旅客用飛行船「LZ7」が完成し、初めて「ドイッチュラント」という固有船名が付けられた。

しかし、この飛行船は同年6月19日に初飛行して10日程でトイトブルクの森に不時着してしまった。
6月28日に報道関係者を招待して試乗会を行ったときのことである。

「LZ7」の運航実績は7回の飛行で、乗船した人数は129名の乗客を含む220名、飛行時間は20時間半、航行距離は1035キロメートルに留まっている。

直ちに同型船「LZ8」が建造され、1911年3月30日に初飛行を行った。
そして「LZ7」と同じく「ドイッチュラント」と命名された。

この「LZ8」で後に有名な飛行船乗りとなったフーゴー・エッケナーが初めて指令を務めた。

だが、この飛行船も短期間で解体されることになる。

同年5月16日に着陸しようとしてデュッセルドルフの格納庫に引っ掛かってしまった。幸い、怪我人もなく乗客は長い梯子で地上に降りることができた。

「LZ8:ドイッチュラント(Ⅱ)」の運航実績は22回の飛行で、乗客129名を含む458人が乗船し、47時間の飛行で2379キロメートルを航行したのみである。

見出しの写真は、そのときに撮影されたものである。

このように、DELAGの運航開始当時はお世辞にも順調な滑り出しとは言えなかった。

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