2009年11月06日

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台湾のスタンプ(11) 壽

Stamp_Kotobuki_1.jpg

昨日のこの項目で「花蓮港」を取り上げたところ、LCさんからコメントを貰ったので、台東線の近くを探して「壽」を見つけた。

台湾の東部は長く未開拓のままであったが、日本統治時代になって開拓が行われるようになったという。

従って移民用に開拓村が幾つか作られて、吉野、大和、三笠など日本内地の地名が付けられた。
花蓮港周辺では吉野村、豊田村、林田村が三大移民村と呼ばれていた。

稲作では、農林省が品種改良して蓬莱米という日本米に近いものが広く産出された。

Yoshino_1.jpg

吉野村にも内地の白壁土蔵を併設した日本家屋があった。
今でも花蓮には畳屋さんがあるそうである。

TaitohSen_1.jpg

これは片倉氏の著書に掲載されていた当時の台東線の路線図である。
判りにくいが下辺が花蓮港である。

TaitohSen_1a.jpg

その一部を拡大したものを参考までに載せてみる。

片倉氏の解説によれば、スタンプには、台湾東部の基幹産業である製糖工場が描かれ、背景の山は木瓜山と大檜山であるという。遠景には中央山脈の連峰も描かれている。


Comment on "台湾のスタンプ(11) 壽"

台東から花蓮港の鉄道略図は珍しく南を上にした地図だが、懐かしい戦前を思い出した。壽は単字でも日本語では復音で「コトブキ」と耳に快く響くが、大陸からの国民党独裁政権のシナ人の単音「ソー」は物足りない為か壽豊に換えられた。壽からは池南池への近道、だから船漕ぎやキャンプに行くときは壽駅で下車した。
壽の次の駅は渓口駅で、馬力の少ない石炭炊きの汽車ぽっぽは一旦停車し、逆行しながら坂を上り、そしてから本格的に台東に向かい坂を上り始める。1944年10月12日、米軍艦載機による台湾初空襲の日、渓口駅でジグザグ中の汽車が攻撃を受け、機関銃掃射で多数の疎開乗客が死傷を蒙った。