2009年12月29日

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大戦間の航洋手段(1)

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世界で初めてのエアラインは、1909年11月に設立されたDELAGである。
同社は開発されたばかりの硬式飛行船でドイツの主要都市上空の遊覧飛行や都市間の旅客輸送にあたっていた。

飛行機による最初の定期便は1914年の1月初め、合衆国フロリダのタンパから湾の対岸セントピーターズバーグまで開設された。
使用機はベノイストⅩⅣ型の複葉飛行艇で、操縦士のほかに乗れるのは乗客1名であった。運賃は片道5ドルであったが体重により割り増し料金が科せられていた。

第一次大戦が終わっても飛行機はまだ幼年期で、休戦で払い下げられた偵察機や爆撃機に2人程度の乗客を乗せて、ドイツ国内やパリ・ロンドン間を連絡していた。
乗客4名を屋根と窓のあるキャビンに収容する全金属製輸送機ユンカースF13が初飛行したのは1919年6月のことであった。
乗員2名のほかに乗客8名を乗せて化粧室を設けたオランダのフォッカーFⅦaの初飛行は1925年9月であり、初めてトイレを設けた旅客機であるイギリスのハンドレページHP42が進空したのは1930年11月のことである。上翼に2基、下翼に2基のエンジンを付け、水平尾翼は2枚垂直尾翼はその間に3枚ある固定脚の「旅客機の始祖鳥」のような機体であった。

1928年9月に飛翔したツェッペリンの硬式飛行船「LZ127:グラーフ・ツェッペエリン」にはツインキャビンが10室のほかに男女別の洗面所とトイレそれにダイニング兼用ラウンジ、小さいながらも厨房を設け、コックのほかスチュワードも乗務していた。飛行船以外の長距離エアラインは考えられない時代であった。

一方1929年から翌年にかけて著名な客船が次々と就航した。
1927年にフレンチラインの「イル・ド・フランス」、1929年にはNYKの「浅間丸」、NDLの「ブレーメン」、翌年に「浅間丸」の姉妹船「竜田丸」、「秩父丸」、それに「ブレーメン」の姉妹船「オイローパ」などである。

写真は日本郵船の「浅間丸」である。


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