2009年12月30日

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ブルーリボン(1)

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1838年4月にブリティッシュ・アンド・アメリカン・スティーム・ナヴィゲーション社の木造外輪蒸気船「シリウス」(702トン、乗員37名、乗客44名)がアイルランドのコークからニューヨークに19日掛けて航行して以来、北大西洋横断航路の速度競争が続いていた。

小さな船で長時間船酔いに悩ませられるのを嫌って、少しでも早く目的地に上陸したかったからである。
商社も当然ながら貨物を早く届けてくれる船と契約を結ぶことになる。

港町ではどの船が速いかが話題になり、出航予定の掲載された地元の新聞には海運会社や蒸気船の総トン数や航海速度が掲載されていた。
新聞記事や噂によって貨物の集荷状況も乗船客数も大きく影響を受けた。

このため、入港する蒸気船の速度に関心が集まり、順序付けが始まった。

北大西洋横断の速度記録を保持する船舶を「ブルーリボンホルダー」と呼ぶようになった理由ははっきりしていない。
ガーター勲章の大綬が青いため一等賞の象徴という説や、競馬の世界から持ち込まれたという説がある。
現在、我が国では映画や、鉄道車両に与えられる賞のほか、ブルーリボン運動と言うと、受動喫煙防止運動、北朝鮮拉致被害者救出運動などにブルーリボン運動という言葉が使われている。

いずれにしても「ブルーリボン」は決して公式な賞ではなく、如何なる学会・協会から授与されたものでも承認されたものではないし、その船長や海運会社の経営者が表彰されたこともない。

しかし、ドイツとイギリスが世界海運の覇を競って競走を繰り広げた19世紀末から「ブルーリボン」レースは熾烈になった。
イギリスのキュナードが20年保持していた「ブルーリボン」を「ブレーメン」が奪還したあとイタリアの「レックス」、フランスの「ノルマンディ」、イギリスの「クィーン・メリー」が争奪戦を繰り広げた。

1935年にイギリスのヘイルズ卿がいわゆるヘイルズ・トロフィーを寄贈したが、面白いことに「クィーン・メリー」で記録を更新した当のイギリスのキュナード社は、『我々はそんなものが欲しくて頑張ったのではない』として受け取りを拒否している。

写真は「レックス」に授けられ「ノルマンディ」に引き継がれたヘイルズ・トロフィーである。


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