2010年01月12日

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渡洋航行手段(承前)

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第一次大戦で敗れたドイツはヴェルサイユ条約に規制されて国内で飛行機を作ることも出来なかった。

従って、ドルニエが飛行艇WALを開発したが、イタリアの工場で160〜170艇を生産したほか、スペイン、オランダ、日本(川崎)などで生産された。
フリードリッヒスハーフェンのドルニエ工場で造られたものは1932年以降に生産された僅か56艇のみであった。

原型は1922年11月に飛行したが、その後1924年、1931年、1935年と改良を重ねられていった。

乗員4名、乗客10名を乗せることが出来たが、大西洋を一気に飛び越えるには航続距離が足りなかった。

ルフトハンザが営業を開始した1926年頃から、ドイツ、イタリア、ブラジル(コンドル・シンジカート)などで使われ始めた。

1934年からは南米へ航空郵便を届けたがヨーロッパからブラジルへは遠すぎるので、南大西洋に中継船ヴェストファレンを待機させ、燃料を補給してカタパルト射出していた。

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この地図は1930年に飛行艇ヴァル「D−1422」を航路調査のため、アイスランド、グリーンランド、カナダ経由アメリカまで飛んだときの航路である。

何れにしてもスーパーライナー「ブレーメン」が就航した時点では大西洋を超える航空路は夢であった。


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