2010年05月06日

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「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」のエンジン

LZ127_Recife_1.jpg

「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」は1928年9月18日の試運転から1937年6月18日のフランクフルトへの移送まで9年近くにわたって運航された。

その間、大西洋を143回、太平洋を1回と144回の大洋横断飛行を含め、63回の南米往復を含め74回の航行(離着陸回数で590回)を行い、飛行時間は1万7千時間を超える。

天候急変などで何度か不時着も経験し、南米定期便に就航していた当時レシフェで緊急着陸した際に脱落した垂直尾翼を括りつけて帰ったこともある。
しかし、10年近い生涯で人命に関わるような事故は起こしていない。

これはマイバッハ・エンジンの信頼性によるところが大きい。

ツェッペリン伯爵のために、ダイムラーと別れ息子カールとともにマイバッハ・エンジン製作所を設立したウィルヘルム・マイバッハのおかげである。

第一次大戦前のDELAG飛行船の当時は単基出力が百馬力台であったが、「LZ127」には出力530馬力のマイバッハVLⅡ型12気筒エンジンが5基搭載されており、燃料としてガソリンとブラウガスを用いることが出来た。

1928年10月に続いて、翌年5月に合衆国に向かった同船は、ローヌ渓谷を抜けて地中海に出たところで1基のエンジンが停止し、他のエンジンも次々停止して終いには1基のみのエンジンでツーロン近くのフランスの飛行船基地に緊急着陸した。
この航行についてエッケナー博士の著書では述べられていない。
ザムト船長の著書に述べられているが、エンジンとプロペラを連結する回転軸に疲労亀裂が生じたことが原因であった。

いま、フォン・シラー船長の「世界航空事業の開拓者」を読んでいるが、このなかでこのエンジントラブルの前兆のような故障のあったことが判った。
第1回訪米飛行のあと、冬場を格納庫で過ごした「LZ127」が1929年2月末に政府要人を招待して第1回オリエント飛行を計画したが、この冬はヨーロッパで50年来の寒波のため出発を3月25日に繰り下げて実施された。
フォン・シラー氏の著述によれば、そのあとの西地中海での航行とあるので、4月23〜25日に行われたスペイン航行であろう。
このとき、エンジンの1基が故障し、さらにプロペラを落としてしまったらしい。

それから1ヶ月も経たない5月16日にフリードリッヒスハーフェンからレークハースト目指して飛び立った時には5基のエンジンのうち、4基まで故障しローヌ渓谷でミストラルに帰途を妨げられツーロン近郊のフランス軍飛行船基地に緊急着陸した。
特別列車で届けられた代換用エンジンを搭載して帰航し、徹底的に原因が究明されマイバッハ・エンジンに改良が加えられ8月1日に世界周航の出発点のレークハーストに向かったのである。

船舶も航空機も、推進機関などにトラブルを生じたものは対症療法のような対策を行い、生まれが悪いなどとされるケースがままあるが、徹底的に原因究明と抜本的対策を講じれば「災い転じて福となす」ことが出来る。

その典型的な例であると思う。

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