2010年06月21日

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飛行船四方山話(167):世界周航でフリードリッヒスハーフェンまでの指令

LZ127Friedrichshafen_1.jpg

1929年の世界周航には、アメリカの世界一周とドイツの世界一周があった・・

[区分] 航行・世界周航

[難易度]初級

[問題]
アメリカ人はレークハーストで「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航は完結したと喜んでいましたが、ドイツ人はあくまでフリードリッヒスハーフェンを離陸してフリードリッヒスハーフェンに着陸するまでが世界周航と考えていました。
レークハーストまで本船の指揮を執っていたエッケナー博士は、合衆国との合弁事業などの交渉のためにニューヨークに残ることになりました。
フリードリッヒスハーフェンまで帰航の指揮を執ったのは誰でしょう?

1.エルンスト・レーマン船長
2.ハンス・フォン・シラー船長
3.H.C.フレミング船長
4.マックス・プルス船長

[答]

[解説]
1929年の世界周航時、乗船していた船長は、指令のエッケナー博士のほか、E.A.レーマン船長、H.C.フレミング船長、H.フォン・シラー船長が乗っていました。
後に「ヒンデンブルク」の指令を勤めたマックス・プルスは航海士、アルバート・ザムトは昇降舵手として乗務していました(ガイセンヘイナーの手記によればザムトは乗務技師となっていますが疑問が残ります)。
エッケナー博士は、アメリカと合弁で設立した硬式飛行船製造会社(グッドイヤー・ツェッペリン)で建造中の大型飛行船の件や、独米が大型飛行船を2隻づつ保有して大西洋定期航路を運航する計画について米国側と協議を行うために残りました。
しかし、その年の10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し(暗黒の木曜日、南北戦争に次ぐアメリカの悲劇といわれた)、瞬く間に世界大恐慌となり、定期運航の話は実現しませんでした。


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