2010年07月29日

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飛行艇の時代を代表する「Cクラスボート」

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航空関係のブログの紹介で昭和15(1940)年発行の「航空要覧」を見た。
内国、外国に分かれ、第一から第二十二までの編成である。

その第十四は、世界幹線航空路一覧表となっており、その(一)が欧亜連絡航空路(濠州線ヲ含ム)である。

その最初に「インペリアル・エアウェイズ會社」の濠州線が掲載されている。
片道10日も掛かるこの路線は毎週3往復しており、使用機は「ショート・エンパイア」飛行艇と明記してある。

経路を追ってみた。
倫敦(サザンプトン)が起点、濠州シドニーが終点である。

最初の寄港地が馬耳塞となっている。フランス地中海岸のマルセイユである。
第2の寄港地は羅馬、イタリアのローマである。
第3寄港地はブリンディシである。アドリア海からイオニア海に出るオトラント海峡に面したイタリアの港で、ヴァルなど飛行艇の中継点であった。
第4寄港地は雅典、ギリシャの首都アテネである。
ここで乗客は上陸してホテルで食事をして宿泊する。第一日目の終わりである。
ここまでの飛行距離は2810kmと記されていた。

アテネを離水したエンパイアは南東に飛び、第5の寄港地アレキサンドリアに着水する。第6寄港地チベリアスを地図で見つけるのに時間を要した。ここは内陸水面であった。イスラエルとヨルダンの間にある死海の北方にあるチベリアス湖の湖岸の街である。
第7寄港地はイラクの内陸湖ハバニエ湖である。
そして第8寄港地はユーフラテス河畔のバスラであった。第2日目の宿泊地である。
延べ飛行距離は5617kmである。

飛行艇はペルシャ湾を南下し、第9寄港地バーレン、第10寄港地ドバイに着水して当時英領インドであった第11寄港地カラチに到着する。ここが3日目の宿泊地で、延べ飛行距離は7843kmである。

カラチを離水したエンパイアはインド亜大陸を北東に進み、ジャイプール砂漠地帯のラジ・サマンド(第12寄港地)、マディヤプラデーシュ州のクワリオール(第13寄港地)、ウッタルプラデーシュ州のアッハバッド(第14寄港地)に寄航し、第4日目の目的地であるガンジス河口のカルカッタ(第15寄港地:現コルカタ)に繋留される。
ここまでの飛行距離は10112kmであると記されているが、この内陸の地理はよく分からない。

カルカッタを離水して、ビルマ(現:ミャンマー)のアキャブ(第16寄港地)、当時ビルマの主都であった蘭貢(ラングーン:第17寄港地)に着水して第5日目の目的地シャム(現タイ)の主都である盤谷(バンコク:第18寄港地)に到着する。延べ飛行距離は11784kmである。

盤谷を離水したエンパイア飛行艇はマレー半島の彼南(ペナン:第19寄港地)に寄航して第6日目の宿泊地、新嘉披(シンガポール:第20寄港地)に着水する。ここまでの飛行距離は13346kmである。

同要覧には新嘉披を離水した飛行艇は21番目の寄港地クラバット・ベイに寄航すると記されているがこの地名がよく判らなかった。
近くで捜すと、スラウェシ島(セレベス島)にクラバットという山があるようであるが、第22寄港地がバタヴィア(現ジャカルタ)であることを考えると遠すぎると思われる。この地点だけは判らなかった。バタヴィアを飛び立ったエンパイアはジャワ島のスラバヤ(第23寄港地)に到着する。第7日目の目的地である。
延べ飛行時間は14915kmである。

スラバヤを離水してスンバワ島のビマ(第24寄港地)、チモール島のクパン(第25寄港地)に寄って、第8日目の目的地であるオーストラリアのダーウィン(第26寄港地)に着水する。延べ飛行距離は17035kmとなる。

ポート・ダーウィンを離陸してグルート・アイランド(第27寄港地)、カーペンタリア湾最奥のカルンバ(第28寄港地)に寄航し、オーストラリア東岸沿いの大堡礁にまもられたタウンズヴィル(第29寄港地)に到着する。
ここが第9日目の目的港である。
ここまでの飛行距離は18971kmとなった。

翌朝タウンズヴィルを離水すると東岸沿いに南下してブリスベン(第30寄港地)に寄って最終目的地であるシドニー港に着水する。
総飛行距離は20872kmであった。

この長大な定期航空路に周3便も運航していたとは驚異的である。

寄港地には燃料、潤滑油だけでなくエンジン、艇体のパーツを含む予備品類と整備要員が配備されていたのであろう。

乗客は各寄港地で艇を降り、ホテルで夕食を楽しんだあと熟睡して翌朝また艇に戻ったという。

艇内に椰子の植木鉢などを置いた遊歩スペースやサロン、バーも用意され、トイレットも前後2箇所に設置されていたこれらエンパイア飛行船は、"C"で始まる固有艇名がつけられていたため、「Cクラスボート」と呼ばれていた。


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