2011年05月31日

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戦前の広島城周辺(戦後の広島:8)

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戦前の広島城周辺である。

中央に堀をめぐらしているのが本丸で、右に小さく二の丸がある。

本丸の西北隅に天守閣があり、中央に大本営跡の建物が見える。
第五師団司令部は本丸のなかに設置されていた。

写真の手前(西側)が野砲兵第五聯隊で、生け垣の手前に器具材料倉庫があり、その南隣(右)は輜重兵第五大隊、倉庫の北隣(左)は衞戍病院であった。

本丸の向こう側(写真の上)と北側(左)は歩兵第十一聯隊であった。

現在、広島県庁の建っているあたりに西練兵場があった。

広島駅から二葉山、尾長にかけて広い東練兵場があったが、騎兵第五聯隊はその傍にあった。

この写真を見ていると、軍都広島と言われていたことが実感できる様である。
戦後の復興計画で、このあたりはすべて公園になる筈であった。
しかし、原爆スラムなど市内至るところにあった不法建築を解消するために市営住宅・県営住宅が建てられることになった。
しかし、それでは対応しきれず後に高層アパート群が建設されることになる。

ちなみに戦後最終期の市営住宅、南鯉城住宅は野砲第五聯隊跡地と器具材料倉庫の間に建てられ、10棟20世帯が住んでいた。

基町に住む学童は舗装もしていない石垣の傍を通って幟町小学校まで通った。

現在、合同庁舎の建っている場所は未だ空き地で季節には蕎麦の花が爽やかであった。


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