2011年08月06日

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ガイセンハイナーの世界周航記続行

LZ127LA_2.jpg

1929年8月に飛行船「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」が世界周航を行った。
大口スポンサーであるハースト新聞の指定により、始点・終点がニューヨーク近郊のレークハーストに決められたため、8月1日にフリードリッヒスハーフェンを出発してレークハーストに向かった。
そして8月7日に最初の寄港地フリードリッヒスハーフェンへ向かった。
ハースト新聞のほかヨーロッパや日本から特派員が乗船し、ロシア・日本・合衆国など上空を航行する各国の政府代表を乗せてシベリア経由日本に向かった。
その他の寄港地は第一次大戦の賠償としてドイツから格納庫が移設されていた霞ヶ浦海軍航空隊、それにアメリカ西岸のロサンゼルスであった。

レークハーストからレークハーストまでの世界周航を「アメリカの世界周航」と呼び、フリードリッヒスハーフェンからフリードリッヒスハーフェンまでの周航を「ドイツの周航」と呼ばれていた。

各国の報道関係者は何れかの世界周航に乗船しレポートしたが、日本の毎日・朝日の両社はフリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦まで、それに霞ヶ浦からロサンゼルスまでは電通の特派員が乗船している。

国内で報道された「ツェッペリン乗船記」は、フリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦まで、あるいは霞ヶ浦からロサンゼルス着陸まで区間のみである。

しかし、この世界周航最大の危機はロサンゼルス離陸直後に訪れた。

同地に着陸する際に上空と地表の温度差から大量の浮揚ガスを放出したが、同地では浮揚ガスの水素を補給することが出来ず、数名の乗務員を下船させてやっと浮揚したものの、高圧電線に昇降舵が接触しそうになり奇跡的に墜落を回避したのである。

2009年暮から一年間、フランクフルト新聞のマックス・ガイセンハイナーの乗船記を読んでいたが、フリードリッヒスハーフェンからロサンゼルス到着までであった。

ロサンゼルスから母港フリードリッヒスハーフェンまでの乗船記を継続することにした。
写真はロサンゼルスのマインス・フィールドにマスト繋留した同船である。

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