2013年03月29日

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大和ミュージアム訪問(5)

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大和ミュージアムには、真珠湾やシドニー、ディエゴスワレスなどに潜入して在泊艦艇を攻撃した特殊潜航艇も何隻か展示されている。

潜水艦と言うのは大型で長時間航洋するもので、水上排水量1000トン以上のものを一等潜水艦とし、その艦名には「伊号第1潜水艦」など「伊号」、水上排水量1000トン未満500トン以上のものを二等潜水艦とし、「呂号第33潜水艦」など「呂号」、水上排水量500トン未満のものは三等潜水艦(のちに二等に統合)とし、「波号201潜水艦」など「波号」で始まる艦名を付けていた。

港湾防御や敵の泊地を攻撃する小型のものは潜航艇と呼ばれる。

このうち、一番有名なものは大型潜水艦に水中でも発進出来るように取り付けられ、真珠湾を攻撃した「甲標的」である。

開発や訓練の途上、防諜のため、対潜水艦用砲撃や雷撃の訓練の標的であるかのような制式名称「甲標的( A Target )」と呼ばれていた。

真珠湾やシドニー、ディエゴスアレス攻撃時には蓄電池駆動で2人乗りであったが、後に改良を重ね、ディーゼルエンジンを搭載し、乗員も5名となった。
これが「蛟龍(甲標的丁型)」である。

終戦後、占領軍が最も恐れ、急いで処分したのは主要港湾や海峡、水道、それに小豆島など瀬戸内海各地に配備されていた特殊潜航艇群であった。

「蛟龍」よりさらに小型の「海龍」というのも量産された。
「蛟龍」が船舶と同様に艇尾の舵板を操作して上下左右の方向を変える方式であったのに対して、「海龍」は飛行機のように艇体中央部に水中翼を備え、運動性能を発揮するものであった。

実際に引き揚げられた「蛟龍」や「海龍」とともに床に実寸大に描かれた図面や、実寸大模型の「回天」も展示されていた。

上掲の写真は「甲標的」の艇央部を再現した原寸大のモデルである。
外の見えないこのスペースで、ジャイロが故障し、潜望鏡が損傷すると浪に揉まれて姿勢保持も困難であったことであろう。

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