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淡水河の中洲

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淡水は19世紀末に台湾随一の貿易港で、全台湾貿易総額のの4分の3を占めていたと言われる。
しかし淡水河の堆積のため河底が浅くなり、浚渫船で浚えたりしていたが大きな中洲が出来ていた。

小さい頃、で中洲に渡ったことがある。
長さ7〜800メートル、幅2〜300メートル程度はあったのではなかろうか?

大型船の入港に差し支えるようになり、開設された日本郵船や大阪商船の福州や香港への航路も廃止されてしまった。

ときおり川西の大型飛行艇が飛来していたが、着水や離水の前には遊漁船などが滑走水面に入らないように警戒艇が走り回っていたのだろう。

戦後、川の流れが変わったせいか中洲はなくなっていたが、干潮時には水面上に現れることがある。

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2011年04月20日 14:19に投稿されたエントリーのページです。

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