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善光寺で聴いた玉音放送

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66回目の終戦記念日である。

当時まだ5歳であったので記憶は非常に心許ない。
しかし、玉音放送は祖母や母など皆で聴いたと思う。
ノイズが多く、独特の抑揚のある陛下の声は殆ど聞き取れなかった。

しかし、頭を垂れて正座して寺の講堂で聴いていたなかで、あちこちから嗚咽が漏れていた。
前日から15日の正午には重大発表があるので皆ラジオの前で聴くようにという通達がながされていたので敗戦を確認したからではなかろうか?

5月に学童疎開で北投の街を見下ろす善光寺に来て、短い間にいろいろなことがあった。
下の街を銃撃していた米艦載機が襲ってきて、機銃掃射を受けたこともある。
出撃した特攻機が2機、母親の疎開している善光寺の山を3回旋回して名残惜しそうにバンクしながら南溟に飛び去るのを見たこともある。

応召していた父はマラリアや腎臓結石を患って戦後も長く後遺症に苦しんだが、とにかく生還してくれた。
自分の手で持てるだけのものと一人千円のみを持たされて千トンにも満たない船で目的港も知らされないまま引き揚げた。
両親はよく我々を育ててくれたと思う。

戦後、米軍主体の進駐軍はよほど日本が恐ろしかったと見えて、日本人の精神的拠り所を悉く禁止、あるいは否定した。
それでも日本人から日本精神をぬぐい去ることは出来なかった。
東日本の大震災で暴動も略奪も起きなかったことに世界は驚いたようであるが、千年以上にわたって日本人の心は受け継がれている。

しかし、歴史が教えるように社会に貧困や不安が拡がると一握りの人間がコントロールしようとする動きが出てくる。

彼らはその主義・主張を巧妙に綿密に宣伝しようとするが、彼らの言う「愚民」に判りやすいように主張する教義は右か左に偏っている。
まっとうな中庸な主義は宣伝活動に向かないからである。

今日一日、昨今の平和ぼけや、民主主義について考えてみることにする。


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2011年08月15日 11:12に投稿されたエントリーのページです。

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