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淡水から広島までの一千浬(38)

IBM7044_1.jpg

当時、日本のコンピュータ事情を思い出してみる。

1964(昭和39)年にIBM7090が3基輸入されたが、1基は日本IBMのデータセンターに、1基は三菱原子力工業(後に三菱総研となる)に、1基は東芝に設置されたという。
ちょうどその年は三菱造船が新三菱重工、三菱日本重工と合併して三菱重工業になった年である。
三菱グループ企業としてこのIBM7090を利用することが出来た。
これより先、新三菱重工にはIBM650が導入されていてらしい。
三菱造船の長崎研究所にIBM1620が導入されたのは、その利用技術の研究のためであったのであろう。

三菱重工業に合併したころに本社にIBM7044が導入され、長崎のコンピューターはIBM7040にリプレースされた。
このときに社としてオープンプログラマ制が採用された。
研究部門、設計部門、製造部門、企画や経理など事務部門も誰でもプログラミング出来るように社内で講習会を行ったりしていた。

数百ステップくらいなら、2パスか3パスにしてもIBM1620で何とかなったが、ちょっと複雑になるとお手上げであった。

コーディングシートやデータシートを毎日の夜行列車に載せて東京でコンパイルや実行テストを行うのである(当時、当局はこの制度を郵便法違反であると文句をつけていた)。しかし、テスト計算の段階になると、処理結果が一週間後に戻ってくる方式では間に合わなかった。
東京に出張してテストを行うのである。
当時、代々木会館のような出張要員の宿泊施設が完備しておらず、本郷あたりの大きな屋敷を借り上げて利用していた。
長崎からの出張員と相部屋になったりしていた。
長崎研究所や広島研究所の女子プログラマもここに滞在していた。
風呂に入ろうとすると「いま、女子が入浴しています。」と待たされることもあった。
勿論、深夜も終末も時間を決めてコンピュータを利用していた。

当時はコンピューターメーカーと言えばIBMで(UNIVACなどあったが)独占状態であった。
そんなときに、聞いたこともない会社が1万ドル代でコンピュータを販売するという話が出た。
IBMはコンピュータを売らない(売れない)のである。
自社のハードウェア/ソフトウェア・エンジニアが調整しないと順調に作動せず、客先に納品できるようなものではなかったのである。

しかし、いま思うと画期的な商品開発が行われていた。

それがDEC(Digital Equipment Corporation)であった。
12ビットのPDP8は爆発的に売れ、ミニコンピュータ時代を開いた。

images8.jpg

国内のメーカも、樫尾、日立、日電、東芝、松下、沖、三菱などがミニコンピュータの開発・販売に乗り出した。

当初はパネル前面にトグルスイッチを並べただけの筐体で何が出来るかと冷ややかに見られていたが、そのうち紙テープ、DEC独時に開発した双方向読み書き可能な3/4インチ幅の磁気テープ装置など補助メモリおよび入出力端末を接続すると実用的コンピュータとして成長していった。

pdp8_1.jpg

DECでは、18ビット型のPDP7やPDP15、24ビット型、36ビット型など様々なミニコンピュータが開発されたが、16ビット型のPDP11型が主流となった。

PDP11_40.jpg

IBMのコンピュータは空調完備の大きなスペースに置かれたマジックボックスでユーザー側が触れることも出来なかったが、DECのコンピュータは内部アーキテクチャも各装置間のインターフェース公開され本格的コンピュータシステムになった。

国内の電機メーカーからは、富士通のFACOM230シリーズ、日立のHITAC10/20シリーズ、日本電気のNEAC3200シリーズ、東芝のTOSBACシリーズ、三菱電機のMELCOMシリーズ、沖電気のOKITACシリーズ、松下通信工業のMACC7シリーズなどが発売された。

広島研究所にも埋立地の掘建小屋にMELCOM70が導入された。
入出力はカードベースで、毎週月曜日のシステム立ち上げには半日を要したものである。このシステムにはアナログ、ディジタルのプロセス入出力装置が用意されていたのでオンラインデータ収録やプロセス制御も可能なシステムであった。

MELCOM70に関しては三菱電機の鎌倉製作所に出張したこともある。

当時、社内でコンピュータの利用技術に関して理解している人は限られていた。
またインターネットが一般に使える状態ではなく、今日のようにウェブから情報を得ることも出来なかった。
このメルコムが設置されたことにより、自分で種々のテストが出来ることは非常に有難いことであった。

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2012年02月10日 10:59に投稿されたエントリーのページです。

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