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淡水には水上飛行機のための飛行場があった

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1937年頃、台湾総督府航空局は淡水の鼻仔頭村に飛行場を建設する計画を立てた。

1941年頃に水上機用の飛行場が出来た。

大日本航空はドルニエの飛行艇ヴァルを本土とバンコクの間に、月に二回運航していたが、淡水へは給油のために寄港していた。

しかし、大東亜戦争が始まったため、バンコク便は1941年12月12日に運航停止された。

その後は高雄の東港基地から零式水上観測機が派遣され、哨戒や気象観測に用いられた。淡水の前に広がる中洲をかすめるように離着水していたこの零観は、巷ではゲタバキ(下駄履き)と呼ばれていた。

海軍では広大な太平洋の、まだ飛行場の整備されていない島嶼部で運用するため、飛行艇で編成される横浜航空隊や東港航空隊のほか、索敵哨戒のため水上偵察機や、水上艦艇の砲撃の弾着を上空から観察し報告する水上観測機などを擁していた。
零式艦上戦闘機は陸上航空基地にも多く配備されたが、滑走路の整備されていない前線で運用できるように浮舟を付けて二式水上戦闘機として用いられた。

当初は台南航空隊(陸上:零式艦戦)や東港航空隊(飛行艇部隊)のように地名を冠した隊名をつけていたが、前線の別基地に進出したことと、防諜のため、東港航空隊を第851航空隊のように隊名の呼称を変更した。

この航空写真は、1944年10月12日に台湾沖に来た米空母「イントレピッド(CV-11)」から出撃した第18攻撃隊の撮影したものであろう。
滑台付近の地上に3機、水面に1機、それに右端の掩体壕の前に1機見えるが、この写真では単葉か複葉か判らない。
おそらく、単葉の水上偵察機と思われる。
写真にはライジングサンの石油タンクや淡水線の鉄道線路も見える。

1945年3月には実戦部隊が淡水に移動してきた。
フィリピン方面を転戦していた第634海軍航空隊である。
水上偵察機24機(常用18機、補用6機)を擁する部隊で、司令、飛行隊長、搭乗員、地上員など250名の部隊であったので淡水基地には収容しきれず、士林にも兵舎が設営されたと言う。
この部隊は沖縄方面に来襲した米艦船に何度か爆撃を行い、直撃弾も与えている。
水上偵察機「瑞雲」という単葉双浮舟の機体は、急降下爆撃の出来るもので250kg爆弾、あるいは60kg爆弾2個を搭載可能であった。

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2013年05月08日 11:02に投稿されたエントリーのページです。

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