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2013年07月 アーカイブ

2013年07月23日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「淡水」ブログはこちらです ***

七十五日ものご無沙汰、申し訳ありません。

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5月8日に本欄を更新した翌日、ちょっとしたアクシデントに遭い、救急医院や外科、内科のお世話になっており、更新も滞って居りました。
お詫び申し上げます。

体調も従前のように復旧致しました。
一部の方にはご心配をお掛けしたことを申し訳なく思っております。

そんな中、嬉しいメールも届きました。

淡水公学校(淡水東国民学校)の教頭を務められていた三原宝映先生のお孫さんからの連絡でした。
祖父の三原先生は引き揚げた後、愛知県にお住まいになっていたようですが、お父さんが広島に転勤になり、広島駅からほど近い大須賀町に住み、私の母校である幟町小学校に通われていた様です。
淡水在住当時、三原先生は淡水公会堂の傍にあった、神学校の近くに住んで居られたと思います。引き揚げのときは、我々と同じように海防艦であったのか、大陸沿岸沿いに迂回したリバティ船であったのか、聞いておられないかもしれません。

が、ともかく淡水に住んでいた世代から古き良き時代や、戦後の窮乏時代に我々を育ててくれた苦労話などを伝承しながら世界中に居る「淡水人仲間」と連絡をとりあうことが出来るのは有難いことと感謝しています。

2013年07月24日

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「友愛」第13号

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先月、友愛会誌第13号が届いた。

本号は「友愛日本語クラブ」を設立された陳絢暉先生の追悼特集であった。

陳絢暉は1992年に美しく正しい日本語を残そうと、同志6名と共に友愛日本語クラブを設立し、現在は百数十人の友愛グループとして月例会が継続されている。

機関誌「友愛」の第11号(353ページ)は2010年9月18日に、第12号(335ページ)は2011年12月31日(352ページ)に発行され、第13号は2013年5月16日の発行である。

第13号の内容は、陳絢暉先生への追悼文が約80ページ、エッセーが150ページ余り、華日翻訳が20ページ余り、スピーチ集が20ページ、それに月例会のテキスト(問題)が70ページにもわたって掲載されている。

例会では、大学生や院生たちがテキストが難しすぎるので、日本語文芸作品の朗読にしようという声もあったようであるが、未だに、ことわざ、熟語の読みと意味、例示文の正誤など、日本人でもどの程度出来るかという問題で例会が続けられている。

この友愛グループのほか、台湾歌壇の会の活動も活発で「台湾歌壇」も年に2度発行されている。

私も、うかうかしていてはいけないと自省している。


2013年07月29日

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淡水に進駐してきた水上爆撃機「瑞雲(ずいうん)」

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第六三四航空隊は1944(昭和19)年5月1日に開隊された。

所属は第三艦隊・第四航空戦隊である。

開戦初頭は、第一航空艦隊は「赤城」、「加賀」。第二航空艦隊は「蒼龍」、「飛龍」。第四航空戦隊は「龍驤」、「大鷹」(のち「祥鳳」に変更)。第五航空艦隊は新造の「翔鶴」、「瑞鶴」であったが、ミッドウェイ海戦で「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」を失うなどしていたので、1943(昭和18)年に伊勢型戦艦「伊勢」および「日向」5番、6番砲塔を撤去して飛行甲板を設置し、航空戦艦とし、第四航空戦隊としていた。

第六三四航空隊の編成は
航空戦艦「伊勢」: 艦上爆撃機「彗星」8機
  水上爆撃機「瑞雲」14機
航空戦艦「日向」: 艦上爆撃機「彗星」14機
  水上爆撃機「瑞雲」8機
であった。

新編時の首脳部は「司令兼副長:天谷孝久中佐(海兵51期)」、「飛行長兼通信長代理:江村日雄少佐(海兵57期)」、「飛行隊長:田村与志男大尉(水爆)、木塚忠治大尉(艦爆)」、「分隊長:永井宗友中尉(偵練)、石野正治中尉(偵練)」、「整備長:岩元盛高大尉(海機47期)」などであった。

1944(昭和19)年5月1日に、航空戦艦「伊勢」、「日向」で第四航空戦隊を編成し、第六三四海軍航空隊を付属させて第三艦隊に編入されたわけである。
艦上爆撃隊は岩国基地、水上爆撃隊は呉基地で錬成を始めた。
1944(昭和19)年6月23日には広島湾で最初のカタパルト射出訓練を実施したが、9月頃までには500キロ爆弾搭載の22機を30分以内に発進させる目標であった。(ちなみに日本海軍では航空母艦から艦上機を発進させるときにカタパルトは使用していなかった)

1944(昭和19)年7月10日に改装空母「隼鷹」が、同年8月10日には改装空母「竜鳳」が第四航空戦隊に編入され、第634海軍航空隊は
戦闘第一六三航空隊: 零戦48機(定数)飛行隊長福田澄夫大尉
戦闘第一六七航空隊: 零戦48機(定数)飛行隊長福田澄夫大尉
  彗星24機(定数)飛行隊長木塚忠治大尉
  天山24機(定数)先任分隊士渡辺 譲 大尉
  瑞雲24機(定数)飛行隊長田村与志男大尉
となり、同8月から艦上爆撃隊、水上爆撃隊は岩国基地で錬成を開始したが、水上爆撃隊は夜間訓練のため鹿児島県指宿基地に移動した。

1944(昭和19)年10月には六三四航空隊の全てと六五三航空隊の主力は母艦部隊から離れ基地航空隊として第二航空艦隊(第六基地航空部隊)に編入された。

同年10月に台湾沖航空戦が始まると、六三四空は沖縄を経由して米機動部隊を攻撃、台湾・台中基地に移動した。
この際、水上爆撃隊は東港基地に進出した。

なお、1944(昭和19)年7月10日には横須賀海軍航空隊で偵察第三〇一飛行隊(水上爆撃機「瑞雲」24機(常用18機、補用6機)、零式水上三座偵察機)が編成されている。

その後、フィリピン方面および東港基地から出撃していたが、1945(昭和20)年3月中旬、淡水基地と周辺の士林に基地を設け移動。
同年3月27日に奄美大島の古仁屋基地に前進、本隊は淡水基地、補充及び錬成は福岡県玄海基地で実施。

毎日のように沖縄周辺の敵艦船を攻撃、殆ど戦果は不明なるも同月29日には戦艦1、巡洋艦1、駆逐艦7を発見し戦艦に6番爆弾2発名中、4月20日には大型駆逐艦1隻轟沈、5月20日には中型輸送船1隻轟沈、5月23日に駆逐艦1隻轟沈などが確認されている。


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