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癸巳淡水紀行(4)

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小公園から細い小径を登ったところに戦前、木下静涯画伯が居を構えていた。

画伯は台湾美術展覧会創設を推し進めた日本籍画家の一人で、その台展と台湾総督府美術展覧会の審査委員であった。

画伯が台湾に上陸したのは、1918年に中国大陸(あるいはインド?)に画家仲間と行ったとき、仲間の一人が病気になり、台湾で入院したときに残って看病したのが機縁だと言われている。
その間に台湾各地で写生をしたりしてすっかり台湾に魅せられてしまったという。
1923年にこの地に居を定め、淡水河を見下ろす屋敷で風景や花を描いていた。

1946年に北九州に引き揚げ、1987年5月に満百歳を迎えられ、その翌年の8月27日に大往生を遂げられた。

新北市淡水区では三民街12号にある旧居が木下静涯記念公園として整備されている。

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この辺りは、淡水の街(旧称:滬尾)ができたときに中心地であった。
この辺りは龍目井、そこから河下側に烽火街、背後の高台の砲臺埔などには街役場、郡役所、郵便局などのほか、多くの商店も並んでいた。

街外れに淡水駅ができたので、この辺りから駅前まで商店街ができた。新店街である。
小公園のまわりは3年前に行ったときも下図のように古美術商などが軒を並べ、静涯画伯邸までは狭い石段を登らなければならなかった。

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新たに設けられた階段ではなく従前の石段から登ると「木下静涯故居」の門に出た。

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門から入ると、石灯籠を配置した庭であった。
半世紀以上放置されていた庭は随分繁っていた筈であるが新北市淡水区が2011年に歴史的建造物に指定されて以来、往時の様子が偲ばれるまでに整備されている。

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入ってきた正面の石柱を見返ったところである。

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庭の中央に吃驚するほど大きいアラビアゴムの樹が立っていた。
おそらく画伯が此処に住んで居られたころから立っているのであろう。

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庭からの眺めである。
左下に馬偕頭像のある三角公園の一部が見えるが、当時は視界を遮るような建築物はなかったので夕陽に染まる淡水河口や、対岸の観音山を正面に見る素晴らしい眺望だったに違いない。

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住居はそのまま残っており、その外壁に画伯の経歴や業績が描かれていた。

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そして庭の奧には画伯の言葉「好日 好日 又好日」を刻んだ石碑が置かれていた。

さらに進むと、紅楼に出た。

洪以南の屋敷であった達観楼が、現在レストラン紅楼として使用されている。

1906年当時、紅毛城内のイギリス領事館、水上機場を設置するために取り壊された鼻仔頭の黄東茂の公館とともに淡水の煉瓦建て洋館3棟の一つであった。

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写真手前は展望テラスカフェになっていた。

中正路まで降りる途中の石段から見上げた紅楼である。

中正路をMRT淡水駅まで戻って荷物を持って宿舎の福格飯店に向かった。

淡江大学への道路、學府路に面している。

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部屋は16階で大屯山に面しており、1601号室であった。

一休みして区公所に行こうとロビーに降りたら呉さんと出会った。

呉さんのへやも16階である。
しばし歓談して3人で区公所に向かう。
集合時間は現地時間午後4時である。


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2013年11月27日 10:18に投稿されたエントリーのページです。

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