2008年11月04日

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原敬首相暗殺事件

1921(大正10)年11月4日、東京駅で国鉄職員であった右翼の青年により刺殺された。
満65歳であった。
卓越した政治感覚と指導力を有する政治家を失ってしまった。

原敬氏のお孫さんに当たる原昌三さんのことを思い出した。

原さんは本社の技術開発部門にいた。
私は地方の造船所の設計・開発を担当していたが、社外との折衝の必要なとき、何度か原さんに助けて貰ったことがある。

某財団からの補助金で研究開発を行う際に造船研究協会に委員会を設立せねばならないことがあった。
委員長には同じ企業から大学に転身したT教授にお願いしたが、それだけでは身内で構成した委員会のようになってしまう。
そのとき、原さんに東京商船大学のI教授を紹介して貰ったことがある。
そのほか、社内の研究開発部門の重鎮であったのでうまく引き回して貰った。

原さんは当時から日本アマチュア無線の会長で、いまも続けておられる。
それから日本馬術連盟会長でもあった。

上京したときに何度か数人程度の酒宴に寄せて貰ったことがある。
メキシコオリンピックだったかのNHKテレビの解説と、映写機の撮影が重なって大変だったとか、よその国のコンピュータ利用状況などを面白くお話しして貰った。

こんな大物と同じ卓で歓談していて良いのだろうかとちょっと気になったとき、原さんは「知人の通夜があるので、これで失礼します。」と中座された。
鮮やかであった。

いまから何十年も前のことである。

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