2009年09月23日

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近代的旅客用飛行船の系譜(2) はじめに(2)  

LZ126_1.jpg

リッケンバッカーの名をご存じであろうか?
ビートルズの使ったギターを作ったアメリカのギター・メーカーではない。
第一次世界大戦におけるアメリカ人戦闘機パイロット、エドワード・V・リッケンバッカーは、26機を撃墜して撃墜王となり、映画『 Captain Eddie 』(1943年製作、邦題「旋風大尉」)でも知られている。
そのリッケンバッカーは1938年に、アメリカン航空、ユナイテッド航空、デルタ航空とともに "Big4" と呼ばれていたイースタン航空を買収して社長となった。

飛行船史研究家のロルフ・イタリアンダーによれば、リッケンバッカーは著書の中で、
「一体、何がドイツに起きたのか?
ヴェルサイユ条約での取り決めがあったにもかかわらず、エッケナーは飛行船の建造を認められ、その結果ツェッペリン飛行船製造社の従業員に仕事を与えることが許された。
同時に彼は、新しい経験を重ねることができ、飛行船の性能をこれまで知られていなかった新たなレベルまで引き揚げた。
彼が賠償飛行船を合衆国まで空輸した際、航空事業そのものに対する画期的な業績を成し遂げた。
エッケナー以前には、旅客や郵便物を載せてヨーロッパとアメリカの間で定期運航される飛行船は1隻もなかった。
彼はアメリカで国民的英雄として賞賛された。
それはまさに未曾有の出来事であった。
敗戦の後、敗戦国の国民は賠償を支払わねばならない。
支払う人物は −それがどんな形であるにせよ− 双方の国民にとって英雄となり、誉れ高い軍司令官さながらに勝利を享受するものなのである。」
と述べている。

第一次世界大戦の休戦は1918年11月11日、パリ郊外のコンピエーヌの森に置かれた食堂車のテーブルで休戦協定に署名されて軍事行動が停止され、1919年6月28日にヴェルサイユ条約が調印され大戦は終結した。

イギリスの著名な航空研究家ピーター・ブルックスの著書によれば「LZ120:ボーデンゼー」の設計が開始されたのは1918年10月で、1919年8月20日に初飛行している。

大戦中に設計が開始されたということは、どういうことなのであろうか?

それに、その直前までの飛行船(終戦の時点に「LZ115」から「LZ119」は建造中であった)とは異なり、主船体の形状は理想的な流線型で、乗客用ゴンドラは操縦用ゴンドラと一体として構築され、主船体として形成されている。

明らかに従来のツェッペリン飛行船とは全く別な設計思想で建造されていた。

ブルックスに寄れば、主任設計者はデューア博士となっているが、博士は設計部長/研究開発部長/技師長のような立場であり、責任者として最後の承認署名はしたであろうが、明らかに設計担当者は別人である。

この「LZ120」こそが近代的旅客輸送用飛行船の原型であり、アメリカ海軍向けの賠償飛行船「LZ126:ZRⅢ」(当時、軍事用飛行船の建造は禁止されていたので旅客用飛行船として引き渡された)や、世界で最も有名な航空機であった「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」、あるいは夢の乗物と言われた「LZ129:ヒンデンブルク」は、この「LZ120」の拡大発展型である。

この「LZ120:ボーデンゼー」がドイツ国内で1919年8月24日に運航開始され、同年12月に戦勝国側からの指示で停止させられたにしても、その前後の経緯を述べた書籍は皆無に等しい。

それから90年経過した現在、謎のままで残っていることも多いが、文献調査によって明らかになってきた部分もある。


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