2009年11月12日

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文字について感じること

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文字というものは大事に扱われなくてはならないと思う。

文字にはシュメール人が発明したといわれる楔形文字のように古いものや、キリル文字、ハングルのように比較的新しい文字もある。

しかし、文字があるから後世に史実や文化が残せるのであり、文字のない言語は語り部によって受け継がれる他はない。

古来、人類は他民族を征服したり、他国を併合したりして勢力圏を広げていたが(今でも明らかに領土拡大を意図している国もある)、多くの場合為政者によって言語や文字の使用が禁止されたり強制されることが多い。
第一次大戦前のオーストリア帝国のようにその支配地域が広範囲に及ぶと、公用の言葉や文字も多くなり支障も来すことになるからである。

しかし、紙に書かれた文字をすべて書き直すことなど出来るはずがない。
中には焚書などという強引なことをやった施政者も居たが・・・

ドイツで使われていたフラクトゥールという文字は20世紀まで使われていて廃止されてしまった文字の一つである。

今ではドイツでもフラクトゥールを読み書きできる人がどのくらいいるのであろうか?

漢字も、台湾で使われているものは読解出来るが、上海に行ったときは筆談も出来なくて困ったことがある。
中国の繁体の古典も、簡体に直しては微妙な違いが失われるのではないかと気になる。

上に示したページはフーゴー・エッケナー博士の著書のサンプルである。

殆どフラクトゥールで印刷されているが15行目末尾の「Z.R.Ⅲ」がラテン文字で書いてあるのが面白い(他ページでは「Dr.」の文字もラテン文字で印刷されている)。


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