2010年08月31日

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(生い立ちの記:40)情報教育環境整備と実践教育

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当時、インターネットは普及しつつあったがマイクロソフトのMSDOSはまだCUIで、アップル社のマッキントッシュがアラン・ケイの提唱したGUIモデルを先に導入していた時期であった。

職場の同僚は、研究室にはまずマッキントッシュを入れろと言う。
この機種ならば簡単にインターネット接続できると言うのがその理由であった。

それから間もなく、MSDOSのアプリケーションとしてWINDOWSが作動するようになった。

8ビットマシンの頃は、国内ではパーソナルコンピュータと言えばNEC製のPC8001が主流を占め、16ビットの時代になってもPC9801が幅を利かせていたが、まもなくIBM・PCAT互換機の時代になった。

それまで情報教室であった4教室のほかに、一般教室として使用していたスペースも学生用のパーソナルコンピュータが導入された。

そればかりではない。新しく建設される某棟にも、その後建設された某棟にもコンピュータを設置した教室が設置され、各自のノートパソコンが接続できる教室が幾つも用意された。
図書館にもマルチメディア室と称してWINDOWSマシンやマッキントッシュを並べた部屋に院生のアルバイトに受付を兼ねた指導員を担当させていた。

従って、毎年のようにカリキュラムやシラバスが更新され、情報教育が充実していった。
インターフェースについての教科も座学だけでなく、実習用の器材を用意した教室で、接続ケーブルの配線をつなぎ替えてコンピュータ相互のデータ伝送を行わせたりソフト・ハード両面で実習を課したので関心のある学生は短期間に延びていった。

企業訪問の際、彼女らの活躍ぶりや人事教育担当者の評価を聞くのが楽しみであった。


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