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オペレーション・フィロソフィー?

 私は船舶でも航空機でも、おそらく自動車や建造物でもそうであろうが、デザイン・ポリシー、あるいはデザイン・フィロソフィーという概念は重要であると思う。設計方針、設計哲学と直訳してしまうと非常に抽象的になって、ちょっとニュアンスが変わると思う。これはあまり強調されることもなく、従って殆ど知られていないが基本的に重要な事項である。

 その設計対象の目的は明白でも副次的に要求される機能は多く、場合によってはそれらの機能が競合することもある。それをその設計対象の耐用年数を見越してどう調整するかという場合もある(誰しも、空中戦が出来て、急降下爆撃が出来て、渡洋爆撃や洋上哨戒が出来、必要に応じて偵察や長距離人員輸送が出来る飛行機が簡単に出来るとは考えていないが運用側に立つと無理な要求をする場合がある)。

 発注者の意向を聞きながら実現可能な仕様を固めて行くことも設計者の使命である。航空機でも船舶でも数十年前までは主任設計者という人がいた。現在は、社内のあるいはグループ各社から出向した数十人の設計者が基本計画段階から協議して設計を進めるので、航空機や船舶の主任設計者という概念がなくなった。

 基本計画の段階から各部の詳細設計に至るまで、その根底に流れている「どんな飛行機、あるいは船舶を創るのか」という思想がデザイン・フィロソフィーである。例えば、世界記録を作るために材料費や工数の嵩むのを厭わず名人芸的なものを創るのか、あるいは現実に運用する場合の生産性を上げるために部品や材料の共通化を図り整備や補修をしやすいものにするのか、あるいは運航時の経済性を重視するのか、貴重な金属材料はバイタルな部分に局限し可能な部分は非金属を採用するのか、あるいはその場しのぎのコストミニマムなものを作るのかなどの方針に基づいて計画・設計・製造が展開されるのである。

 この主任設計者というのは設計部長でも基本設計課長でもない。部長や課長は職制の責任者として出図日程や設計変更も含めた工程管理のほか、原価管理、労務管理に追われているのである。我が国の場合、原動機や素材まで社内で製造している場合も多いが、外注品の発注、検収も多い。

 ツェッペリン飛行船製造社(Luftschiffbau Zeppelin GmbH)の場合、第一号の「LZ-1」はテオドール・コーベル(Theodor Kober:1865-1930)の設計で建造されたが、その完成した1900年にルードウィッヒ・デューア(Dr.Ludwig Duerr:1878-1956)が参入し、その後設計されたすべての飛行船の設計主任となった。

 しかし、ここで述べようとするのは設計だけでなく、運用する立場でもその人物なりの哲学が必要になる場合があるということである。エッケナー博士は、後日ツェッペリン飛行船製造、あるいはDELAGの経営者となるが、飛行船の指令(職責上の船長)としても絶対的な信頼を得ていた。その理由は幾つか考えられるが、一つには飛行船というものが静的浮力・動的浮力によって浮揚し、気温・湿度・風力によってデリケートに左右されるという本質を直感で理解し、経験した現象を自分なりに理解し納得し、それを運用に応用したと言う点が博士の偉大な点であると考えている。

 人は、彼はヨットマンだったから風を読むのが得意であったとか、海軍飛行船隊指揮官であったシュトラッサー少佐の指導者であったから海軍飛行船隊に所属する全飛行船の運航実績を分析して運航ノウハウを確立したとかいうことを記述した本もあり、それを否定するものではないが、彼はトラブルを含む運航状況を自分なりに分析し、その後の運航に生かして来たからだと思う。

 ヨットに乗っていたと言っても学生時代に高々数シーズンであろうし、当時の気象状況は観測点も少なく、気圧配置図など勘で描かれたようなものであろう。シベリア、中近東、北米、南米など地図も信頼できるものばかりではなかった筈である。建造翌年に挙行された世界一周飛行など完遂出来たのが不思議である。気象データがなければ飛べないと言えば行けないところばかりである。

 エッケナー博士の著作には、何処で誰に会って何を話したとか、歓迎のレセプションやパレードの話は殆ど出てこない。ただ航海日の気象・海象については温度、湿度の変化まで詳細に記述されている。博士の天気予報はよく当たると有名であった。いつも風、雲だけでなく気温や湿度まで把握して予測していたのであろう。博士には飛行船の運航にあたっての哲学があったと思っている。オペレーション・フィロソフィー(新語?)とでも呼ぶべきものであろう。

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2007年08月18日 16:41に投稿されたエントリーのページです。

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